『原発列島を行く』(鎌田慧、2001)はタイトル通り、全国各地の原発地帯を著者が訪ね歩いた内容。
この本が発行された当時の原発に関する知識といえば、
原発が全国各地にあること、原発建設反対運動があること、原発誘致時に住民がお金で分断されて死傷者が出たこと、くらいしかなかったと思います。
その10年後に福島原発事故が起きてしまい、それから今日までに12年が経過。
恥ずかしながら今回初めて、この本を最初から最後まで読んだのですが、、、
過疎化が進む貧しい村や町に原発を建設すると、経済的に一時的には潤うのです。
が、麻薬依存症のように原発なしではいられない村や町となり、電源立地交付金や固定資産税による収入が切れるたび、次々と原発を建てないといられない体質になってしまう。
原発地帯の役場は、財政規模にそぐわない立派な建物である場合が多いのですが、
他にも、数十億円かけて建てられた公民館や生涯学習センター、文化ホール、温水プール、運動場、スケート場など、その村や町が立派に見えるようなものが立ち並びます。
それらの維持費が、将来的な財政赤字の発生源になるにもかかわらず、、、
ちなみに、各原発周辺には、各電力会社が数十億円かけて建てた原発PR館などがありますが、、、
大小問わず原発事故が多発しているのだから、そのお金で定期検査(定検工事)をもっとしっかりやるべきだ、と著者も書いています。
それにしても、歴代の科学技術庁長官、御用学者、日本原子力発電、日本原子力研究開発機構(旧動力炉・核燃料開発事業団)、そして各電力会社が、
買収ツアーや買収飲食、いいかげんな説明で地域有力者や住民を騙し、
原発建設に賛成させているところが、原子力政策のヤバさを物語っています。
莫大なカネをばらまき、原発安全神話と「町が発展する、出稼ぎが解消される、電気代が安くなる」という宣伝文句で、首長や住民を原発推進派にするわけです。
それでも反対派多数の場合、カネまみれ選挙や不正選挙が行われたり、さまざまな画策や秘密工作が続けられたり、反対決議を握りつぶしたりして、強引に建設を進めた電力会社もあります。
共通しているのは、莫大なカネ(一時金)で住民の目をくらますやり方です。
大金が動くゆえ、暴力団との関係も深いとか。
しかしながら、JCO臨界事故や福島原発事故で明らかになったように、
何らかの圧力(杜撰な管理、自然災害、耐用年数越えによる異常、欠陥部分の異常、アメリカによるマルウェア発動など)によって、取り返しのつかない事故が起きても、
推進した利権関係者(政府や東電、誘致した首長、地元政治家、重電機メーカー、ゼネコンなど)、
マスコミ、原発の「設置許可取り消し請求」などの訴えを棄却した裁判所、
は無責任を貫き、労働者や周辺住民は何も知らされずに被爆し続けるのです。
そして被爆した結果、深刻な健康被害が出ても因果関係を立証できなければ、科学技術庁や裁判所はその健康被害が被爆によるものだとは認めないのです。
もんじゅ(高速増殖炉)のようにナトリウム漏れ事故や点検漏れなどの不祥事により、約250日しか稼働せず廃炉を決めた原子力施設(商業用ではなく研究用)までありますが、、、
事業費として1兆円以上かけただけでなく、その後1ワットも電気を生み出さない原子炉にもかかわらず、維持費だけで年間約200億円の税金が投入されているのですから、闇でしかありません。
この本に登場した原発建設反対運動住民の中には、他地域の原発で作業経験のある人もいて、
防護服・マスク・アラームメーターを身に付けて作業した怖さが、原発反対の動機になっているようでした。
政府や電気事業連合会による説明の嘘を知れば、
そして、各電力会社、原子力施設運営会社、関連会社によるデータ改ざんやいいかげんな体質、杜撰な管理を知れば、
こんな無責任社会で原子力施設なんてものを建設し稼働させてはいけない、と思わされます。
故中曽根康弘氏が「学者のほっぺたをカネでたたい」て始めた、日本の原子力政策。
それを事業化して原発を推進した、原子力について全く無知だったといわれる故正力松太郎氏。
アメリカの属国である日本は、自然災害大国にもかかわらず、官僚天下り構造もあってその凶悪政策を止められないまま。
原子力発電所の現在の運転状況 を見ると、59機中11機しか運転していません(2023年8月2日時点)。
そんな状況の中、日本全国でエアコンフル稼働している今夏に、なぜ電力不足と言わないのか不思議ですが、
(バックにアメリカや外資がいる)日本政府の政策を止めるためには、大多数の国民が、
政治家や官僚、そしてアメリカや外資が恐れるほどの反対意思を、日本政府に対して突き付ける以外に方法がありません。
【追記】約20年にわたって福島、浜岡、東海などで14基の原発建設を手がけた現場監督で、長年の被ばくによるガンのため1997年に58歳で亡くなった平井憲夫氏のインタビュー記事