でも書いた通り、2日目は、橿原神宮前駅東口2番バス乗り場から「赤かめ」周遊バスに乗りました。
そして、約20分乗車後「岡天理教前」バス停で降りて、飛鳥宮跡(飛鳥板蓋宮跡)へ行きました。
ただ、バス停から飛鳥宮跡までは何の案内もなく、Googlemapを頼りに私道っぽい道を何となく歩いて辿り付いた感じです。
散歩している近所の方に挨拶しながら、不審者と思われていないか不安でしたが…大木の傍に飛鳥宮跡に関する説明板を見つけて、到着したことが分かりホッとしました。
現社会情勢の影響もあるのかもしれませんが、全体的に草ボーボーだったのでちょっと分かりにくかったです。
ここは、7世紀半ばの皇極天皇の宮殿で、中大兄皇子(665年~天智天皇)と中臣鎌足(藤原鎌足)によって、蘇我入鹿が暗殺された「乙巳の変(いっしのへん)」の舞台(詳細はこちら)。
以前は「大化の改新」と呼んでいたので違和感がありますが…
若干20歳の中大兄皇子と当時32歳だった中臣鎌足が、本来、天皇が持つべき権力を我が物にしていた、豪族の蘇我氏(馬子、蝦夷、入鹿)を討ち、再度天皇に権力を戻したクーデターです。
約1400年前にここで歴史が変わり、新しい時代が始まったかと思うと、感慨深いものがあります。
発掘調査によって、ここには3時期の宮殿遺構が重なっていることが分かっており、現在復元されている石敷広場や大井戸跡は、飛鳥浄御原宮時代のものだそうです。
草の成長が著しく全容がよく分かりませんでしたが、おそらくここら辺り一帯に遺構があると想像。
いくつも柱がありましたが、飛鳥宮殿関係の復元物と考えながら見ていました。住民の方は大迷惑でしょうし自然破壊的でもあるのでしょうが、平城京跡のように復元されたらすごいだろうなぁ~
草ボーボーでも、見渡す限りフラットな土地で、宮殿があったと思わせる雰囲気がありました。
朝早かったせいか私たち以外に観光客は誰もいませんでしたが、以前から来たかった場所であっただけに、この場所に立っているだけで終始興奮しっぱなしでした(笑)
当時ここで起こった出来事に思いを馳せながら、復元されている石敷の上を歩いていると、なんともいえない不思議な気持ちになります。ロマンがあるなぁ~
飛鳥宮跡を満喫したら、すぐ近くにある奈良県立万葉文化館まで歩きました。長くなりそうなので、続きはまた明日♪