1916年に夏目漱石が亡くなる2年前、国内各地で行った講演をまとめた『私の個人主義』。
この中の「私の個人主義」という講演内容が、今の自分に必要な言葉のように感じたので引用しようと思います。
自己本位という言葉を自分の手に握ってから大変強くなりました。
~中略~
今まで茫然と自失していた私に、ここに立って、この道からこう行かなければならないと指図をしてくれたものは実にこの自己本位の四字なのであります。(p136)
また、
私は多年の間懊悩した結果ようやく自分の鶴嘴をがちりと鉱脈に掘り当てたような気がしたのです。なお繰り返していうと、今まで霧の中に閉じ込まれたものが、ある角度の方向で、明らかに自分の進んで行くべき道を教えられた事になるのです。(p136、137)
そのためには、
どうしても、一つ自分の鶴嘴で掘り当てる所まで進んで行かなくっては行けないでしょう。行けないというのは、もし掘り中てる事が出来なかったなら、その人は生涯不愉快で、始終中腰になって世の中にまごまごしていなければならないからです。(p138)
また、
もし途中で霧か靄のために懊悩していられる方があるならば、どんな犠牲を払っても、ああここだという掘当てる所まで行ったら宜かろうと思うのです。(p139)
その際、
もしどこかにこだわりがあるなら、それを踏潰すまで進まなければ駄目ですよ。――もっとも進んだってどう進んで好いか解らないのだから、何かに打つかる所まで行くより外に仕方がないのです。(p140)
結果、
ああここにおれの進むべき道があった!ようやく掘り当てた!こういう感投詞を心の底から叫び出される時、あなたがたは始めて心を安ずる事が出来るのでしょう。容易に打ち壊されない自信が、その叫び声とともにむくむく首を擡げて来るのではありませんか。(p139)
つまり、
ここにおれの尻を落ちつける場所があったのだという事実を御発見になって、生涯の安心と自信を握る事が出来るようになると思うから申し上げるのです。(p140、141)
なぜ安心をもたらすかといえば、
貴方方の有って生れた個性がそこに打つかって始めて腰がすわるからでしょう。そうしてそこに尻を落付けて漸々前の方へ進んで行くとその個性がますます発展して行くからでしょう。ああここにおれの安住の地位があったと、あなた方の仕事とあなたがたの個性が、しっくり合った時に、始めていい得るのでしょう。(p141)
自己本位で生きると、
誰かに認めてもらうために生きるのではなく、自分が満足するために生きるので、他人の価値観が入りこむ余地がありません。
同時に、自分が満足していないのに人から褒めてもらっても意味がないと思うようになり、他人の評価をそこまで気にしなくなるようです。
そうなると、自分をよく見せようとしたり、格好つけたりしなくなるかも(多少はあるかもしれませんが…)。
自分が己の人生の主人であろうと思いながらも、いまだに尻を落ち付ける生業を見つけられずにいますが、、、
社会の悪行に加担するような仕事に貴重な時間を使いたくないので、それはそれでいいかなと思っています。