の続きです。
戦後の占領期を経て独立し、数十年経過した日本ですが、いまだに日本国民の人権よりも米軍の権利のほうが尊重されているのはなぜなのか?
それを知るためには、戦後に下されたある最高裁判決を知る必要があります。
米軍駐留に関するあるひとつの最高裁判決(一九五九年)によって、在日米軍については日本の憲法が機能しない状態、つまり治外法権状態が「法的に認められている」ことがわかりました。(p40)
まず、
条約が結ばれると、必要に応じて日本の法律(憲法以外の国内法)が書きかえられたり、「特別法」や「特例法」がつくられ(p42)
るのですが、
「日米安全保障条約」と、それにもとづく「日米地位協定」(在日米軍がもつ特権について定めた協定です)を結んだ結果、日本の国内法として、「航空特例法」という(p42)
法律がつくられました。
その結果、米軍機は高度も安全も守らず日本全国の空を飛んでよいことになりました(!)
それが分かったのが砂川裁判(砂川判決)です。
占領中の一九五〇年から第二代の最高裁判所長官をつとめた田中耕太郎という人物が、独立から七年後の一九五九年、駐日アメリカ大使から指示と誘導を受けながら、在日米軍の権利を全面的に肯定する判決を書いた。その判決の影響で、在日米軍の治外法権状態が確定してしまった。またそれだけでなく、われわれ日本人はその後、政府から重大な人権侵害を受けたときに、それに抵抗する手段がなくなってしまった。(p41)
というのです。
これは本にある図を参照していただくのが1番分かりやすいと思うのですが、
通常、憲法は権力者の横暴から国民の人権を守るために存在するため、
憲法 > 条約 > 日本の法律 という形で憲法が1番優先され、
不平等条約が結ばれたとしても憲法が機能している法治国家であれば、
不平等条約よりも憲法を優先して、国民の権利を守ることができます。
先進国と呼ばれる国では、憲法で国民の権利を守っているのが一般的です。
しかしながら、砂川裁判において田中耕太郎最高裁判所長官は、
日米安保条約のごとき、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度な政治性を有するものが、違憲であるか否かの法的判断は(略)裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とする(判決要旨六)(p45)
という判決を出し、日本国憲法が機能しない状態を認めて、日本国民の権利を守ることを放棄したのです。
国の最高法規として憲法があるのに、高度な政治問題については憲法判断をしないという立場を、
最高裁判所が砂川判決でとってしまった結果、
憲法 > 条約 > 日本の法律
という憲法がないに等しい状態となり、
その後の米軍に関する訴訟で裁判所(主に最高裁)は、日本と日本国民に不利益となる判決しか出さなくなりました。
条約 > 日本の法律
という法的構造となり、憲法ではなく条約が国の最高法規になってしまったのでしょう。
最高裁判所長官が、自国民の権利よりも外国軍の権利を優先する判決を出した国
そんな国が法治国家であるはずがありません。