『反教育論』労働中毒のような仕事中心の生き方は、支配者の思うつぼ

興味深い内容が満載のため、あと2回『反教育論』(泉谷閑示、2013)の内容について、ご紹介させてください。

ちなみに今回は、労働に関するものです。

生涯、長い時間働いて来た人は、突然することがなくなると、うんざりするだろう。だが相当のひまの時間がないと、人生の最もすばらしいものと縁がなくなることが多い。多くの人々が、このすばらしいものを奪われている理由は、ひまがないという以外に何もない。馬鹿げた禁欲主義、それはふつう犠牲的のものであるが、ただそれに動かされて、そう極端に働く必要がもうなくなった今日でも、過度に働く必要のあることを私たちは相かわらず主張し続けている。(p165)

上記は本書に記されていた、1932年にイギリス人、バートランド・ラッセルが『怠惰への讃歌』で記したものです。

90年前に書かれた文章とは思えない、現日本社会における重要な指摘では…と考えさせられました。

世間やメディア、日本政府からの不安を煽る情報をまともに受けていると、そこまで経済的に求める必要がなくとも、「働くことは善」「働くことが1番大切」という仕事中心の人生を送る可能性が高い気がしています。

もちろん、働くことが好きで好きで仕方なく、家族や友人、自分の健康を犠牲にしていなければ、上記の指摘は当てはまらないと思いますが、、、

おそらく数年前の私であれば、ラッセルの考え方は「絵に描いた餅」「理想論」という感じで、自分の生き方を否定されたような気がして、一蹴していただろうと思います。

が、働きまくって心身を壊した後、泉谷氏の本を読むようになって、自分と向き合うことが増えた結果、ちょっとずつ考え方が変化してきて、今はラッセルの考え方のほうがしっくりきます。

もちろん、現状では既婚とはいえ奨学金返済中の身ですし、働く必要があるのは明らかです。

また今独身であれば、例え働きたくなくても、仕事はほどほどにしたいと思っても、過度に働かなかなければならないほど重税を課せられる現実があるため、極端に働いていた可能性が高いと思います。

でも、ふと立ち止まって考えると、21世紀になって20年以上経ったにもかかわらず、現状において働く時間が減ったり働かなくても十分に生活できたりする人の割合って、1990年代に比べてそこまで増えていないんじゃないかと思います。

そもそも勤労を良きものとする「勤労の道徳」とは、支配者が被支配者(奴隷)に対して持続的に労働を強いるために用いた洗脳の道具であったし、かつ、被支配者が理不尽な労苦に耐えるためにひねり出した、マゾヒスティックな自己正当化の装置でもあった(p166)

と著者も指摘しているように、いまも日本社会にある「働かざる者食うべからず」思想は、支配者が労働者を服従させるためにひねり出した洗脳であると同時に、労働者が自己正当化するために拠り所にした文言だったとも言える気がします。

なぜなら、労働によって納めている税金は明治時代からずっと、きちんと国民に還元されるどころか、虚言癖&売国の政治家たちによって、実際にはロクでもない使われ方をされてきたからです、、、

本来であれば、そうした虚言癖&売国の政治家が生まれないように国民が監視し、政府がおかしなことをし始めたら、こぞって糾弾したり、他国のようにデモで抗議したり、選挙で落としたりする必要があります。

が、『反教育論』現代教育で量産される思考停止人間は、支配層にとって都合がいいでも書いたように、服従人間を量産する教育によって奴隷メンタルとなった国民の大半は、日々の生活にかかりきりなり、選挙へさえ行かない人が続出しています、、、

結果、知らないうちに日本社会の荒廃スピードが加速しているような状況なのです。

もちろん、戦後復興期や高度経済成長期には、勤労を良きものとする「働かざる者食うべからず」思想は、労働によって得られるものがプラスに見えたり、実際にプラスな面も多かったりしたせいか、問題視されなかったのかもしれません。

が、バブル崩壊後30年以上不況が続くと、労働は病的レベルを求められるようになって過労と化し、働いても働いても生活は苦しくなる一方で、なんなら売国政治家や売国官僚によって日本社会の希望はどんどん奪われています。

資本主義社会における

「勤労の道徳」は、何と言っても、稼ぎ出した金銭によって正当化される(p167)

ことにあり、そのために大人自身が自分の市場価値を高め続けることに必死なだけでなく、子どもにもすき間なく何かをさせることが当たり前となっています。

その結果、

「何もしないことに罪悪感を植え付けられている」(p164)

子どもが多くなり、現代人のほとんどに見られる

「時間を有意義に使うべきである」という価値観を疑うことなく信奉しており、いつも何かすることばかりを考えている(p165)

人が多くなってしまっているようです。

明治時代以降の軍国化・工業化の結果、今日に至るまで、骨の髄まで経済中心という社会へと変化してしまいました、、、

しかも世界大戦で敗戦国となって以降、『アメリカの鏡・日本』『日本人を狂わせた洗脳工作』でも書いたように、アメリカの植民地として、

「グローバル化」という名のアメリカ化(p167)

をさせられてしまいました。

その過程で、規制緩和させられた結果、日本の公共資産は次々と売られ、本来、経済論理に乗せてはいけないものまでもが民営化されています

世の中のあらゆるものが、経済原則による存在価値だけで測られるようになってしまったのです。

本来であれば、そうした暴走を止めるべきマスメディア各社も、アメリカ政府や日本政府、外資を含む大企業寄りの偏向報道になり、権力監視機関としての機能を果たさなくなってしまいました。

そんな危険な社会環境で、労働教か労働中毒のような仕事中心の生き方を続けていたら、支配者の思うつぼで、ロクでもない社会構築に加担するだけだな~と思えてきます。

そのため、生きていくために稼ぐ必要はありますが、、、

売国日本政府の思うようにさせないためにも、今後は、仕事中心の生き方からは距離を置いて生活していきたいと思っています。