の続きです。
前回、アメリカ(米軍)は国連憲章の敵国条項や、アメリカが各国と結んだ安全保障条約を法的根拠に、
沖縄での軍事占領、日本各地への米軍駐留、米軍基地における空域支配、米軍機による低空飛行などを行い、
日本国民よりも米軍の権利を尊重させていますが、これは国際的に見ても異常だと書きました。
が、なぜ日本は第二次大戦敗戦国とはいえ、アメリカに対して70年以上も対米隷属というか自発的隷従を続けるのか。
その本質的原因を『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』から引用します。
昭和天皇を利用するために東京裁判から昭和天皇を守ったGHQですが、
日本国憲法のなかでマッカーサーが日本に戦力放棄をさせたことから、マッカーサーと昭和天皇、それまで一体となって「アメリカの日本占領政策=戦後日本の再建計画」を進めてきたふたりのあいだに亀裂が入り始めます。(p251)
武力をもたないことが日本の安全を守る道だと説得するマッカーサーに対し、
昭和天皇は、米ソの対立によって国連が機能しない以上、独立後の日本の安全は、
本土への米軍駐留によって確保したいと考えるようになったのです。
結果、戦後日本の安全保障政策に関して、昭和天皇は日本政府を通さないルートで、
ウィリアム・シーボルト(マッカーサーの政治顧問)に対し、「沖縄メッセージ」という政策提案を行いました(1947年9月19日)。
この秘密メッセージを読んでだれもが驚くのは、天皇が米軍に対し沖縄を半永久的に占領しておいてくれと頼んだという事実ですが、もっと驚かされるのは、二一世紀になったいまも沖縄の現状は、基本的にこのとき天皇が希望した状態のままになっているという事実です。
(中略)
形のうえでは沖縄は日本の領土だけれども、それを日本が米軍に貸すことにする。そうしたフィクションのもと、事実上は無期限に米軍が沖縄に居すわる(p252)
ことを、日本の支配層の総意として昭和天皇が米軍に提案したのです。
しかしながら当時、
アメリカ国内では沖縄の戦後処理をめぐって、軍部と国務省が真っ向から対立して(p254)
おり、米軍は「西太平洋を完全にアメリカの支配下におく」という基本構想があったため、
沖縄を軍事支配下におくつもりでしたが、
国務省はそうした軍部の構想に反対で、一九四六年六月には、沖縄を「非軍事化したうえで」、つまり基本的に米軍基地をなくしたうえで、日本に返還すべきだと主張していました。
大西洋憲章に始まる「領土不拡大」の大原則があったため、
「沖縄のような大きな人口の地域を支配下におけば、アメリカは帝国主義だという批判にさらされることになる」
「領土の拡大はアメリカの道徳的地位と政治的リーダーシップを大きく損なうことになる」
と考えていたのです(実際この五年後にインドは、アメリカの沖縄支配を「植民地主義」と非難し、それを大きな理由のひとつとしてサンフランシスコ講和会議への出席を拒否しました)。
(p254、255)
つまり、アメリカ政府(国務省)としては国際的地位を維持するため、沖縄を返還するつもりだったのです。
GHQによる日本国憲法草案の執筆もそうですが、アメリカ政府と米軍は分けて考える必要があります。
結果、その後も国務省は繰り返し、沖縄を非軍事化したうえで返還するよう主張し、軍部との対立が続いていました。
しかしながら、先の「沖縄メッセージ」により状況が変化。
さらに今度は、日本政府だけでなくマッカーサー(GHQ)も通さないルートで、
昭和天皇はダレス(アメリカ国務省)へ直接メッセージを送り(「ダレスへのメッセージ」)、
沖縄における軍事占領の継続と、日本各地での米軍駐留を希望することを、
日本の支配層の総意として表明したのです。