の続きです。
この本で著者は、
日本はすばらしい文化をもっている国ですが、政治指導者たちが論理的思考が苦手だという点だけは、どうごまかすこともできません。(p171)
と繰り返し指摘しています。
日本は感情的社会であり(『タテ社会の人間関係』中根千絵、1967)論理的思考が苦手なだけでなく、
日本人は、別々であるはずのものごとに類似性を見出す=類比的思考も苦手なのだそうです(『サバイバル組織術』佐藤優、2019)。
ただ、それだと国際社会では圧倒的不利なので、それを対米隷属でカバーしているのだろうか…
さて、
一九〇七年に改定されたハーグ陸戦条約(日本も一九一一年に批准しています)では、
「占領地の法律の尊重」を定めた第四三条で、
「占領者は、絶対的な支障がないかぎり、占領地の現行法律を尊重する」と定めて(p171)
いるため、
ドイツは日本と同じく第二次大戦敗戦国で、英米仏ソによって分割占領されたにもかかわらず、
占領中はいくら言われても絶対に正式な憲法をつくらず、一九四九年五月の独立時に各州の代表からなる議会代表会議によって基本法(ドイツ連邦共和国基本法)という形で「暫定憲法」を定め、そのなかに、
「この基本法は、ドイツ国民が自由な決定により議決した憲法が施行される日に、その効力を失う」(第146条)
という条文を入れています。当時ドイツは東西に分断されていたため、将来の統一時にあらためて正式な憲法を制定するとしたわけです(結局、統一後も基本法のままなのですが)。
(p171、172)
また、第二次大戦中にドイツ軍による占領を経験したフランスでは、
戦後一九四六年に制定された「第四共和国憲法」に、
「領土の全部もしくは一部が外国軍によって占領されている場合は、いかなる〔憲法〕改正手続きも、着手したり、継続することはできない」(第九四条)
という条文を入れています。(p172)
論理的思考にもとづいた交渉力を駆使し、自国の利益を遵守するための条文を憲法にきちんと入れられるところに、
経済力ではない先進国としての国力を感じました。
「もし国土の一部でも占領されていたら、その間は絶対に憲法に手をふれてはならない」
これが世界標準の憲法に関する常識なのです。
そうした常識があれば、占領が終わる前はもちろん、五〇万人(一九四六年時点)もの日本人が住む沖縄が議会に代表を送れない状況で憲法をつくっては絶対にならないという声が、きっと知識人のあいだから出たことでしょう。(p172)
そして、その常識が政治指導者や昭和天皇やその側近グループにもあったなら、
歴史的偶然であったGHQが書いた憲法草案を、一旦は受け入れる形にしたとしても(急いでいたため)、
その憲法草案の中に、先のドイツのような条文を加えることも可能だったはずです(広田弘毅元首相が生きていたら…)。
もしくは一旦そのまま受け入れておいて、独立後に全国各地の日本国民によって考えられた憲法草案(当時はたくさんあった)をもとに、
自前の憲法をつくれたのではないかと思います。
約250年間の鎖国中、日本列島に住む人々が村社会共同体で生きるために重要視していたものとは異なるものが、
世界の常識では重視されていることが分かります。