の続きです。
この本に書かれていたことで衝撃的だったことはいくつかありますが、、、
その1つは、日本は著名な憲法学者も含めて、世界標準の近代憲法に関する常識を分かっていない
ということです。
政治指導者や知識人も含めて、近代憲法がどういうものかを理解している日本人がほとんどいないのです。
同じ第二次世界大戦敗戦国でも、ドイツは近代憲法が何であるかを理解していたようで、
政治指導者や知識人が優れているだけでなく、周辺諸国と何度も近代戦をしていたこともあり、
敗戦後の国際的地位回復および国家としての完全な独立を、数十年かけて戦略的に見事にやってのけました。
そもそも開国して数十年しか経過していない島国日本とは、歴史や外交力、精神性が違いすぎるため、
同じ敗戦国として語ること自体不可能なのかもしれません。
ちなみに、国連憲章でアメリカ自身が示した戦後世界の大原則である「主権平等の原則」により、
第二次世界大戦後の世界では、主権国家が憲法に条文として書き込めば、いくら超大国でもどうすることもできない
という事実があります。
そのため、
憲法は、力の弱い国が強い国に立ち向かうための最大の武器(p156)
であるという国際標準の常識を、
政治指導者や知識人がきちんと知っていたフィリピンでは、
1992年に憲法改正を行い、米軍を完全撤退させました。
アメリカの激しい圧力を受けてもふんばったそうです。
結果、
東南アジア一〇か国(ASEAN諸国)に外国軍基地はひとつもなくなった(p157)
ことになり、数百年続いた欧米諸国による東南アジアの植民地支配が終わりました。
(その後、2014年にアメリカとフィリピンの間に結ばれた新軍事協定は、フィリピンが管理権をもつ基地内に米軍が駐留するもので、米軍が管理権をもつ日本にある治外法権基地とは全く異なるものです。)
そのように憲法は、力の弱い国が強い国に立ち向かうための最大の武器です。けれどもその憲法について、日本は国民のあいだにまったくコンセンサスがない。だから健全な議論ができなし、憲法を、国家主権が侵略されたとき、アメリカと闘うための武器にすることができない。また沖縄や福島のように、国民の人権が侵害されたとき、日本政府と闘うための武器にすることもできない。(p157)
憲法に関する国際標準の常識を日本国内で共有できていないため、
米軍から日本国民の権利を守ることもできないし、
日本政府から国民の権利を守ることもできない。
それだけでなく、
「自分で憲法を書いていないから、だれも憲法判断ができない」
「憲法を書いた社会勢力〔=当初の制定勢力〕が存在しないから、政府が憲法違反をしても、だれもそれに抵抗することができない」(p163)
という状況を生み出し、法治国家でない行政独裁国家になっています。
そんな独裁政府が、近年よく憲法改正論議を持ち出し憲法改正草案を公表していますが、、、
近代憲法とは、国家権力が暴走しないように制限する役割を果たすものであり、
国家権力である政府が憲法をつくるということ自体、間違っているのです。