先月、小学生の頃修学旅行で行ったきり訪れていない奈良県を日帰り観光してきました。当時は鹿が凶暴だったことしか印象にないですが、今回もやはり頭突きしてきたので本質は変わっていないようです…コノヤロー
ちなみに、JR奈良駅東口の観光案内所にはスタバも入っていて、休憩できるスペースやコインロッカーもあって便利でした。ただ、営業時間があまり長くないので、場合によっては駅周辺の喫茶店を利用する方がいいかもしれません。
奈良駅東口で近くに住む友人と待ち合わせてから、駅前の横断歩道を渡って興福寺・東大寺へ向かいました。横断歩道近くに、観光案内版があって分かりやすかったです。興福寺・東大寺へ行く途中、奈良県産品を売るお店がいくつもあったので、買い物を楽しみながらいきました。
ちなみに、横断歩道前には1911年建立の常夜灯が2つ建っていて、春日大社参道の出発点(参道の入口)であることを示しています。
参道を30分ほど歩くと、興福寺の五重塔に到着。1426年に再建されて以降、約600年建っているらしいです。戦争・地震・大火を乗り越えた?
国宝なのも納得。興福寺内の建物には工事中で見れないもの(国宝館)もありました。
こちらは、興福寺の東金堂(とうこんどう)。こちらも1415年に再建されてから600年以上も建ち続けています。もちろん国宝です。
東金堂内にはさらに数個の国宝と重要文化財があるようでしたが、残念ながら今回は外見だけ。興福寺と五重塔を観た後は、奈良公園を歩きながら東大寺へ。
奈良公園内には鹿がたくさん。
エサを持っていると見るや、近寄ってくる鹿たち。鋭い眼光にちょっと恐怖…
恐怖に勝てず?鹿せんべいを買ってあげることに。エサをあげるまでは凶暴ですが、もらえると分かると?舌を使って優しく食べていました。
可愛い小鹿は、どこでも大人気。私も大御奉仕しました。
そんな風に歩いていると、いつのまにか東大寺南大門に到着。天平創建時の門は平安時代に大風で倒壊したそうで、現在の門は鎌倉時代に再建されたものだそうです。えっ、築800年!?大仏殿にふさわしい国内最大の山門で、国宝に指定されているのも納得です。
こちらは吽形像(うんぎょうぞう)。仁王像二体は1988年から5年間全面解体修理が行われたそうで、その際に、天平創建期から向かい会って立っていたこと、山口県で伐採された木材が約1年程で搬送され、古文書の記述通りほぼ70日間で二体同時進行で造像されたことも証明されたそうです。
こちらが阿形像(あぎょうぞう)。
何故かここにも明治天皇の軌跡。東海道を歩いていた時も所々こうした石碑ありましたが、よく作らせましたね。当時農民達に課していた重税で、こうしたものが作られ今も残される不思議。
いよいよ大仏殿へ。創建から2度にわたって焼失し、鎌倉時代と江戸時代に再建された大仏殿。江戸期には柱とする材が調達できず、芯となる槻を檜板で囲い、鉄釘と銅輪で締めて柱としたそうです。現在でも世界最大級の木造建築で、国宝に指定されています。
大仏殿に入ると、真正面に大仏様。正式名は、廬舎那仏(るしゃなぶつぞう)と言うそうです。廬舎那仏とは、世界を照らす仏・ひかり輝く仏の意味で釈迦如来の別名だそう。大仏様を最初につくろうと言ったのは聖武天皇であり、造成の指揮をとったのは行基とのこと。現在の大仏様は1691年に造られたものらしいですが、それでも300年以上も経っています。
大仏様の両脇には、それぞれ観音様が。まず、大仏様の左側には虚空蔵菩薩がおられました。1752年頃に作られたといわれ、国の重要文化財に指定されています。ちなみに、殿内は右回りなので、大仏様の右脇の方は後ほどご紹介。
大仏殿内にできていた行列の先には、大仏様の鼻の穴と同じ大きさという柱の穴が。老若男女?が必死にくぐり抜けていました。穴を通ると「無病息災」のご利益があるとか。
この柱は大仏殿の北東にあり、その場所が「鬼門」にあたるそうです。その鬼門の柱に穴を開ける事により、邪気を逃していると言われています。
先ほどの続きで、大仏様の右脇には如意輪観音菩薩がおられました。1738年頃に作られたといわれ、こちらも国の重要文化財に指定されています。
間に昼食を取りながら観光は終了。友人と別れて、22時の夜行バスでJR奈良駅東口から横浜YCATまで帰ってきました。滞在時間が短かく物足りなさはありましたが、JR奈良駅から観光地が近く喫茶店・食事処も豊富だったので、概ね満足できました。次回は駅近ホテルに泊まって、今回見れなかった興福寺の一部と春日大社、唐招提寺をじっくり観光したいと思います。