ときどきお世話になっている歯医者の院長は、技術レベルが高いだけでなく、極力歯を削らない・抜かない治療を進めており、巷で流行っている収益目的の治療には興味がない印象です。
また、歯医者という仕事を好きなのが伝わってくるほど、患者からの質問にもいつも丁寧かつ熱心に答えています。
今時そんな歯医者は貴重かと思いますが、そのせいで常に混んでいて予約が取りにくいのがマイナスです。
さて、『人類が生き残るために』(浅野晴義、1979)の「医者のひとこと」という項目で、信用できない病院・医者の内容が示されていたので、各文章を抜粋しながらここに記載しておくことにしました。
1、経営処方をする
以前、時々外来を訪れていたA嬢が久しぶりに診察室に現われた。風邪をひいて近くの県立病院で診察を受け、くすりをもらったがどうでしょうかという。
まず、A嬢の症状は熱もなく、咳も出ず、のども赤くなく、鼻がぐずぐずする典型的なアレルギー性鼻炎であった。県病院の院長先生の処方薬をみて驚いた。薬価が一日三千円以上もする抗生物質セファロリジンが投薬してある。これは本来、重症の感染症に使うべき薬であって、A嬢のような鼻炎には抗ヒスタミン剤の投与だけで充分なのである。
一応名も売れている院長が、なぜこうした高価な、しかも無意味な抗生物質を処方するにいたったのか考えこまざるをえなかった。高価な薬は一般に利幅も多く、さきのセファリロジンは一日分の処方で、およそ千五百円ほどのマージンがあると考えられる。三日分処方すれば四千五百円の利益が出る。(医療分業であれば薬の利幅は関係ない。)これはなんと、十人分以上の診察代に相当する。
健康保険の技術料は不当に安く、多くの病院は赤字経営になっている。赤字に悩む病院長なればこその経営処方であったとも考えられる。もちろん、処方の意味をたずねたとすれば″混合感染を予防する意味で″ともっともらしい答が返ってくるのは明らかであろう。いずれにせよA嬢は抗生物質を飲まずに簡単になおってしまった。この処置が彼女のためになったことだけはまちがいない。(p47)
正しい知識が無ければ、「大きな病院で良い薬を処方してもらって良かった」と思うだけでしょう。
ただ、そうした経営処方を行う病院・医者へ通うことは、体を危険にさらす可能性が高まるので、避けた方が賢明のようです。
2、患者を薬漬けにする
高血圧で治療を受けているものの、くすりが多すぎる。これだけ服用する必要があるのだろうかと来院した患者がある。
きけば長い間十二種類のくすりをもらってのみ続けていたという。検査してみても、いわゆる本能性高血圧だけで、他に異常はない。現在この人は、一種類の投薬だけで血圧もコントロールでき、全身状態も良好である。
日本でくすりが多用される原因の第一は、たくさん処方するほどもうかる仕組みの医療制度にある。たとえば、多くの医者が宣伝ほどに効くとは思っていない活性ビタミンBがある。処方薬にこのくすりを加えて一日百円の利益が加わるとすれば、体がダルイと訴える人にBを加えたくなっても不思議はない。患者が喜び(活性型Bを有難がる患者も非常に多い)医者のフトコロもその分ゆたかになる。こうした無意味な投薬をなくするには医薬分業しかない。一枚の院外処方箋料はくすりの多い少ないに関係なく一定である。
第二は診療内容である。診断が確定すれば、効くくすりは普通一、二種類にすぎない。診断に自信がない場合には、効能書きのままにあれもこれも大量に処方する。大きな病院のように、投薬量が直接に利潤とつながらない所でもこうした傾向がみられる。これは医者自身の愚かな薬信仰によるもので救いがたい。くすりは本来毒物であり、最少必要量のみ投薬すべきであるという医療の原則は遠く忘れ去られている。(p50)
現代医療では、患者を薬漬けにしない医者のほうが少ないのかもしれません。
幼少時代、単なる風邪なのに医者にかかると抗生物質を処方されることがよくありましたが、抗生物質を摂取し続けると腎臓障害や肝臓障害、再生不良性貧血になる可能性があるそうです。
もちろん患者側から大量に薬を出すよう、医者に求める場合もありますから、医者も大変なんだろうと思いますが、、、私自身は大量に薬を処方する病院・医者とは離れるようにしています。
3、患者を検査漬けにする
ある公立病院の外科部長が、自分より未熟な若手の外科医が手術を執刀すると、傷の回復が遅く、術後の処置(点滴、抗生物質投与等)も余分に行なわねばならず、結果として彼等の方が病院の収入増加に寄与することになると歎いていたことがある。残念ながら、今の健康保険制度は、一つの疾病に関する限り、未熟な医師ほど保険点数が上がり、もうかる仕組みにできている。この点を確実にチェックする機構は存在しない。(p70)
不要な診療を繰り返すことは過剰診療と呼ばれて問題になっていますが、それは検査のしすぎで医療費が膨大になったり、健康を害したりする可能性があるためです。
そんな過剰診療を行う病院や医者にかかってしまうと、完治までに異常な時間を要したり健康状態が悪化したりする可能性があるので、注意が必要です。
4、患者に怒る
Y嬢は二十五歳、若年性糖尿病の患者である。数年来、インスリンの注射で糖尿病の治療を続けている。この女性が妊娠した。
ある日、彼女がベソをかきながら診察室に現れた。近くの産婦人科で診察を受けた所、″糖尿病の患者が妊娠するとはもってのほか″とこっぴどく叱られたという。私はその産婦人科医が許せなかった。第一に医者が患者をオコってはならない。これは先生が生徒に対し感情的にオコるのが許されないのと同様である。第二に糖尿病患者が妊娠していけない理由はない。健康人と比較すると、流産や奇形の発症率はやゝ高い。だからといって、女性が母親になりたいという人間の基本的な願いを拒否することはできない。
さらに糖尿病患者の分娩前後には特殊な医療上の注意が必要である。恐らくこの産婦人科医は、糖尿病と妊娠に関しては甚しく無知で、無経験な人に違いない。でなければオコりつける理由がない。
彼女には二度とそこに行かないように話し、少し遠くても安心してまかせられる産婦人科医を紹介することにした。
患者がくすりとか注射とか医療内容について質問すると不機嫌にオコる医者は案外多いようである。これは、患者は黙って治療を受ければよいのだとする思い上がった医者か、もしくは自分の医療に全く自信のない医者である。
こうした医者は、くれぐれも要注意である。早速転医した方が無難であろう。(p51)
忙しさや過労もあって、「患者が色々と聞いてくるのが気に食わない」という医者もいると思います。
ただ、患者の多くは医者に怒られると、多大な精神的ダメージを受けると思うので、怒る医者には近付かないほうが体のためだと思います。
ただ、変な患者も多いので医者も大変なのだと思いますが、、、
5、転院を認めない・なかなか退院させない
高価な病院以外、現代ではそんな病院はほとんどないと思いますが、一応記載。
6、大病院
大病院ならよい治療が受けられると錯覚している人も多いようですが、浅野氏によると、大病院には少数の優秀な医者と多数のできのよくない医者が雑居しており、少数のできのよい医師も専門分化している場合が多いそうです。
特に大学病院の場合、大学は教育と研究が目的の場で治療が主目的ではないため、原因と治療が確立している病気には興味を示さないそうです。
患者は研究対象であって治療対象ではないため、そうなってしまうのかもしれません。浅野氏によれば、
最も望ましいのは、平生から主治医として信頼できる医師をみつけておくことである。病院に入院する場合でも、かかりつけの医師に紹介して貰う方がよい。担当した医師も安易な誤魔化しができなくなるからである。(p58)
とのことです。
7、技術がない
浅野氏以外の医者も指摘していましたが、最近の若者で医者を志す人は不純な動機である場合が多く、大量生産している背景もあってか、技術力に欠ける医者が増えているのだそうです。
ただ、40年前に書かれた浅野氏の本にはすでに、「日本の平均的医療レベルは二流以下である」という記載があることから、昔からそうだったのかもしれません、、、
田舎の山の中に住んでいた頃は、病院の選択肢もなかったため、歯から内臓に至るまで酷い治療を施された経験があります。
もちろん、医者がいないよりはマシかもしれませんが、技術力がない医者にかかってしまうと一生後悔することもあり得ます、、、それゆえ、そうした病院・医者からはできる限り離れるのが賢明だと思っています。
現代医療は医者によって技術力に大きな差があるため、技術力のある医者を探す・選ぶことが不可欠なようです。浅野氏も指摘しているように、「医者を選ぶのも寿命のうち」なのかもしれません。
ちなみに、個人的に思う危険な病院の特徴は、いつでも予約が取れる(空いている)病院です。
これは病院だけでなく飲食店やその他商業施設などにも言えることだと思いますが、大抵空いていて、いつでも予約が取れる病院は信用できません。
患者側にも問題がある
浅野氏の著書にもとづいて、信用できない病院・医者の特徴をご紹介してきましたが、そんな医療環境を放置している患者側にも問題がないとはいえません。
最近は医療訴訟が激増していますが、浅野氏によれば「訴えてもっとも」というものから、「それは誰が医者でも起こったことだろう」というようなものまで様々だといいます。
自らの健康に責任をもたぬ他人まかせの人が、病気になれば医者にかかる権利があり、医者が病気を癒すのは当然の義務であり、癒せなければ告訴する権利がある。では世の中は悪くなる一方であろう。(p71)
と述べて、ひどい医療訴訟へ警鐘を鳴らしています。
また医療費の自己負担が少ないせいか、高齢者が時間のある限り病院に通い、無用な投薬を受けているために、国全体として医療費が莫大となっている面もあります(徐々に変わってきてはいますが)。
十年前、私はアメリカの大学で研究生活を送っていた。当時、アメリカでの診療は、一回毎に約三千円であった。勿論日本のようなカミカゼ診療ではない。アポイントメント制で、一人あたりの診察に費す時間は十五分から三十分とる。
患者側からしても、質問に対しては納得のゆく返答を期待できるだけのゆとりがあった。
その頃、日本での診察料(再診療)は、僅かに一回五十円であった。同じ金額でチューインガムが一包みだけ買えたのである。ガム一個の診察料では医業は絶対に赤字になる。経営を黒字にするために数々の対策が考えられた。第一に診察時間の短縮である。ガム一個分の診療を行なうためには、一人一分間以下でなければ割が合わない。かくて、一日に百人以上も患者をこなすカミカゼ医療が誕生した。さらに利益を注射から得なければならない。健保乙表では、注射一本毎に技術料が請求できる。沢山注射をうつことは、痛い思いをすると治療を受けた気になる日本人の国民性とよく合ったようである。かくて機械の如く注射をうちまくる医者が続々と生れてきた。さらにくすりを安く買い叩き、専門技術よりくすりを売ることを本職とする医者が育っていった。(p54)
安心な医療制度が確立されているのは素晴らしいし有難いことですが、それによって医療荒廃が起きたり、税金支払いが膨大になったりするのは好ましいとは思えません。
もちろん完全な制度なんてあり得ないわけですが、、、
現代にはインターネットもありますから、自ら各病院・各医者の情報を得て、危険な病院や医者からは離れるとともに、自分の体を他人任せにせず、できる限り自分で健康管理していく姿勢をもちたいです。