幼少期、実家がある田舎地域では、毎年10月頃に「亥の子」という行事がありました。
その行事は、その地域にいる小学生4~6年の男女および大人が集まって、5本前後のロープが付いたお餅の形のような石を持ち、「亥の子の唄」を唄いながらその石を各戸の庭にたたきつける作業により、秋の収穫を祝うと同時に各戸の厄を払うものです。
この「亥の子」行事を始める前に、まず村の神社へ行くことが決まりになっていて、村の神社へ預けているロープが付いた石を取り出し、その後、集落全戸の庭を石でついてまわりました。
「亥の子」が終わった各戸の庭にはへこみができていて、そこへ細かく切った折り紙を撒いていました。
各戸をまわった際、ハロウィンみたいにお菓子をもらっていた記憶もあります。昔は小学校高学年の男の子だけでやっていたそうですが、少子化の波を受けて女の子や大人も参加するようになったそうです。ただ、「亥の子」は西日本に残る風習のようで、関東では全く聞きません。
さて、親が「亥の子の歌詞には、差別用語が含まれていて良くない」と何度も言っていたので、改めて思い返してネット検索してみると、確かに差別用語的なものが含まれていました。
以下は、私の地域で唄われていた「亥の子の唄」の歌詞です。
(亥の子の唄)
いーのこ いのこ 亥の子餅ついて
祝わん者は 鬼産め蛇産め 角の生えた子を産め
えっべっさん 大黒さん一(いち)で 俵を踏まえて
二(に)で にこにこ笑って
三(さん)で 酒を造くって
四(よっつ) 世の中善いように
五つ(いつつ) いつもの大社
六つ(むっつ) 胸を揃えて
七つ(ななつ) 何事無いように
八つ(やっつ) 屋敷を広めて
九つ(ここのつ) ここに蔵を建て
十(とお)で とうとう納まった繁盛せー 繁盛せー
当時、重い石を持ってこの唄を歌いながら50~60軒周るため、かなりの体力を要していました。毎年終わった後は筋肉痛になっていましたね、変な達成感もありましたが…
最近調べたところによると、「亥の子」の風習は平安時代からあるらしく、元々は中国の言い伝えである無病のおまじないから始まったのだそうです。
それが時代が進むにつれて、秋の収穫祝いや猪(亥の子=イノシシ)にあやかった多産祈願の意味が加わったといわれています。
しかしながら、改めて「亥の子の唄」の歌詞を眺めてみると、先ほども話したように現代にはそぐわない部分もあります。
たいして気にする必要はないのかもしれませんが、私自身がいまだに歌詞を覚えているほどなので(これまで意味自体を考えたことはありませんでしたが)、けっこう影響力が大きいものなのかも。
今後もそうした風習を続けていくなら、歌詞も含めて「亥の子」の在り方自体を各時代に適応させていく必要があるのではと思ったのでした。