のつづきで3日目。
昨夜はクーラーを22℃設定(弱風・風向き上)して就寝、おかげで朝まで熟睡できました!
結果、駅アナウンスも電車の音もほとんど聞こなかったので、睡眠の質の重要度を再認識。
ぐっすり眠れたので、朝食もしっかり。
夫は昨日より控えた?らしい。
団体客は早い時間に利用したのか、空いていて快適な朝食会場でした。
朝食会場からは青空が見えたので、天気予報通りの晴れ&最高気温19℃かな~と思っていたのですが…
チェックアウト&荷物を預けて外に出たところ、風が冷たく、関東の真冬並みの寒さでビックリ!
慌ててホテルに戻り、預けた荷物を受け取って、エレベーター近くのドレッシングルームで着替え(ドレッシングルーム便利!)。
結局、この日は15℃までしか上がらなかったので、体感に沿った服装が重要だと思いました(極暖ヒートテック・タートルネック・ライトダウンが正解)。
そんな3日目は、谷地頭行きの市電に乗って、青柳町で下車。
函館公園内にある、市立函館博物館へ。
函館公園、噴水を含めた設計が素晴らしく、趣のある公園で美しかった~また行きたいその3。
函館山ロープウェイも見えました。
市立函館博物館、内装は年期が入っていますが、入館料100円とは思えないほど展示内容が充実!
3階建てで、2・3階に展示があります(1階はお手洗い)。
北海道にイノシシは生息しないのに、こんな大きな獣がいたそうで…
ブタかイノシシか論争の結果、「野生化したブタ」で決着。
こんな大きな獣に猛スピードで体当たりされたら…と考えると、ヒグマやツキノワグマもですが…野生の獣を恐ろしさに身震い。
以前は、日本各地にあった金山。
夫によると、金山から取れた金も、昔はすいぶんと安い価格で外国に売ってしまったらしい。
金より銀のほうが価値が高い時代も長くありましたが…
物資の乏しい日本列島では、加工されていない金よりも外国の実用品のほうが、価値が高く感じられたのかもなぁ。
アイヌの人々は和人によって、昆布や干し鮭を生産するための労働力として酷使、搾取されていった歴史。
薩摩藩と琉球、琉球と離島にも同様のことがありましたが、、、今なお労働力の酷使、搾取がある日本列島です。
北前船が盛んだった頃は、栄えていたところも多かったのだろうなあ。
1869年(明治2年)、蝦夷地→北海道、箱館→函館になり、開拓使が設置される。
1871年、北海道行政の中心が札幌へ移るが、小樽が台頭するまで、函館は北海道の中心だった。
それに納得の、函館の食文化・観光のしやすさ、を今回の旅行で感じました。
ちなみに、函館が経済的発展を遂げる中で活躍したのが、函館四天王と呼ばれる人々。
明治初期から中期にかけて、函館経済界の重鎮として活躍し、産業振興・福祉事業・都市造りに力を尽くした今井市右衛門、平田文右衛門、渡辺熊四郎、平塚時蔵の4人を函館四天王と呼ぶらしい。
ちなみに、渡辺熊四郎さんが営んでいた金森洋物店は、金森赤レンガ倉庫の前身だそう。
屋号がそのまま残っているのが、函館への貢献度の高さを表しているのかもなぁ。
四天王以外にも高田屋嘉兵衛さんや、中川嘉兵衛さん(函館氷を売り出した)みたいな人もいたから、当時の函館には全国各地から数多くの人が集まってきていたんだろうな。
志海苔中世遺構から出土した、古銭(国指定重要文化財)。
前漢の四銖半両、明の洪武通宝など93種類が見つかったそう。
手が長くないと使いにくそうな円筒土器を、なぜ使っていたのかが気になる。
五稜郭の氷(函館氷)に関する展示も面白かったです。
ただ、「箱館戦争と武器」という企画展はちょっと怖かった。
函館公園には他にも、小さな遊園地や動物園などがあって、穏やかに楽しめる空間でした。
長くなってしまったので、続きはまた明日~