小泉八雲記念館(松江)で知った日本人への洞察が鋭い小泉八雲

小泉八雲が1年数か月ほど住んでいた、島根県松江市。そこには小泉八雲旧居とともに、小泉八雲記念館があります。

先日小泉八雲記念館へ行き、小泉八雲がどういったバックグラウンドや考えを持っていたのかを窺い知れてかなり興味深い時間を過ごせました。

小泉八雲という名は、小泉セツという日本女性と結婚して日本帰化後に得た名前で、それまではラフカディオ・ハーンという名で知られていました。

記念館では小泉八雲が、恵まれない幼少期を過ごし自ら運命を切り拓く過程で日本に来たこと、16歳で左目を失明したために左目が写らないように写真に写ること、小泉八雲の著書が日本人に影響を与えていること(柳田國男、志賀直哉、夏目漱石、芥川龍之介、小村寿太郎)、54歳という短い生涯だったこと等数多くのことを知りました。

ただ、私が1番印象に残ったことは、小泉八雲が日本の教育に関して懸念していた3つの内容でした。

1つ目は、暗記型・詰め込み教育への懸念です。「学問には想像力が不可欠であり、想像力と絡み合わせて学ぶ必要があるにもかかわらず、日本人はそれをしない」などと指摘しています。

また2つ目は、教師に対する親の過度な甘えがあることへの懸念でした。1つ目同様2つ目も、今の教育現場と同じですね。日本人は明治時代から変わっていないようです。

さらに3つ目は、子どもの栄養不足でした。「学問には十分な栄養のある食事が必要で、それは成長するためにも大人以上の栄養を摂る必要があるのに、子どもには著しく不足している」などと述べています。おそらく、ラフカディオ・ハーンが来日した時代は、日本が軍事国家へと突き進み始めた頃でしたから、重税による貧困に喘いでいた国民の現状を指摘していたとも考えられます。

ちなみに、小泉八雲記念館館長の小泉凡という方は、小泉八雲の曾孫にあたる方だそうです(焼津にある小泉八雲記念館の名誉館長でもあるそう)。

館内は写真撮影禁止でしたが、昨年7月にリニューアルオープンしたという通り、館内は新しく快適な空間。と同時に、かなり充実した展示内容で行って良かったと心底思える観光施設でした。

アクセスは、JR松江駅から「ぐるっと松江レイクラインバス」という松江市内観光周遊バスに乗り、「小泉八雲記念館前」で降りてすぐ(約20分)。