先日、北京世界遺産「明の十三陵」はすごかった①神道について書きましたが、今回は十三陵の中で唯一発掘されている「定陵」の様子について書きたいと思います。
「明の十三陵」はその名の通り、約40平方キロメートルにわたって巨大な陵墓が13箇所点在している場所で、1400年代から200年の歳月をかけて風水学に従って作られたものです。
3代皇帝の永楽帝の陵墓である「長陵」、13代隆慶帝の陵墓「昭陵」、14代皇帝である万暦帝の陵墓「定陵」、「神道」と呼ばれる参道、の4つが一般公開されていますが、発掘されているのは「定陵」だけ。
そんな「定陵」は、明代第14代皇帝である神宗万暦帝と彼の2人の皇后の合葬墓です。万暦帝の在位期間は最長(48年)であり、贅を尽くし財をむさぼった暗愚の君主ともいわれています。
当時の国家税収2年分に相当する費用をかけ陵墓を建設したのですから、そういわれても仕方ないでしょう。とはいえ、後世の私達が当時の技術や文化などを推し量ることのできる貴重な文化遺産なので、今となっては批判ばかりはできませんが。
さて、前置きはほどほどに世界遺産「定陵」を見ていくことにしましょう。陵墓に入る前から歴史的な建造物が並んでいます。
この門は行きには通らず、帰りに「回来了(帰ってきた)」と言って通る門だそうです。
紫禁城内にもこんな石壁がありましたが、龍や雲が描かれています。
建物の古さを物語るように、壁から木が。人が近づかないように整備すべきでは?とも思ってしまいますが、ここは中国。
地下宮殿に入る前までの道のりが長い…
陵墓には他にも入口や出口があるようですが、公開用には整備されていないようでした。
この入口も一般公開用に作られたものかもしれません。壁が綺麗すぎますもんね(笑)
撮影OKでもお墓の写真を撮るのは躊躇します…とはいえ、見る機会の少ない世界遺産を写真に残しておきたいので数枚撮りました。ガイドさんの後について、どんどん進んでいきます。
地下宮殿の深さは27m、面積1195m2の石造の地下室となっています。当時27mも掘るのはかなり大変だったでしょうね…それとも今より技術があったのかな?
地下宮殿は、前殿、中殿、右配殿、左配殿、后殿の5つで構成されていました。
地下宮殿には、柱や梁が無く、石をアーチ型に組んだもので支えられているようです。当時の建築技術がすごい!ガイドさんの説明を聞きながら、進んでいきます。
皇帝の棺が安置されていた棺床。お賽銭が大量に投げ入れられていました。天井の高さは7.5~9mにもなりますが、非常にキレイなアーチ型で驚きます。
中殿には、孝靖・孝端皇后、万暦皇帝の宝座が3つ置かれていました。これは後ろに龍があるので、万暦帝の宝座。皇后の宝座には、鳳凰がありました。
文化大革命時、紅衛兵たちが陵墓内の多くを打ち壊したり、宝石・貴金属・家具・調度品等を持ち去ったそうです。また、皇帝と皇后の亡骸も焼き払われたといわれています。
これら床、壁面、天井、宝座は全て大理石で作られているというから、驚くばかり。一体どうやって作ったのでしょう?
后殿には、万暦帝と孝端・孝靖という二人の后妃の棺と、副葬品を入れた小さな棺がありましたが、全て複製品だそうです。
ここの地下宮殿からは、これまでに副葬品や遺骨など貴重な歴史的資料が数千点発見されているそうです。
地下宮殿というにふさわしい建築。
観光用に出口となっているこの場所。本来の構造では、ここから地下宮殿内に入っていくようになっていたとのこと。手前のアーチと壁が白いのは、現代になって作られたものだからそうです。発掘された壁は、茶色がかったもの。
この陵墓ですが、建設してから600年近く経過している訳ですから、他に公開されている陵墓同様、ここは中国なので倒壊の危険がありそうで怖い。
公開用に出口化されていますが、こちらが本来の陵墓の入口だそうです。
入口までの道もすごいですね。両脇の壁に歴史を感じます。
観光用の出口(陵墓の入口)を過ぎて外を出て少し歩いたところに、明楼という建物がありました。
中に建っていた石碑には「神宗顕皇帝之陵」との記載が。ここから陵墓へ入っていく訳ですね。
12月という観光閑散期だったためか観光客がほとんどおらず、ガイドさんの流暢な日本語説明を聞きながら、じっくりと観光できて大満足でした。
もちろん気温が氷点下で極寒でしたが、万全の防寒服で臨んだことと(上下ヒートテック+防寒パンツ+コート)、広大な敷地内を歩いていたことで、さほど気になりませんでした。
次回は、定陵の地下宮殿に埋葬されていた美しい物品が展示されている北京世界遺産「明の十三陵」はすごかった③定陵博物館の様子をお伝えします。