父が病気になったとき宗教勧誘が相次いだ話

子どもの頃父が難病になってしまったのですが、その時に相当腹が立ったことがあります。

宗教を信仰して救われるかは人それぞれ
ヨーロッパを中心に信仰が篤い、某世界的宗教。 聖書片手に街頭に立つ人や、教会、関連の学校を目にします。個人的には無宗教なので、信じる人は信じればいいと思っています。 が、時々そんな信仰を強制してくる人がいて辟易します。 1人暮らしが長かった...

とも被るのですが、それは「お金を払って信じれば救われる」と騙す人々が現れたこと…

現代では完治する見込みがない病気になって途方に暮れていたとき、「これをやれば救われる」と怪しい宗教組織からの勧誘が相次ぎました。

それまで健康でやりたいことも山ほどあった父が、30代前半にしていきなり人生が終わると言われたわけですから、わらをも掴みたい気持ちだったのだと思います。

病気から脱出する希望を求めて、片っ端から勧誘された組織を試していきました。

ただ案の定、それらどの組織でも会員からお金を徴収しては「これをやれば完治する」など、効果のない文句を会員に与えているだけのようでした。

おかしいと感じた母がやめるよう父に伝えましたが、命が限りなく減っていく父には聞き入れることができませんでした。

そんな状況でも山深い田舎の自宅へは、壺を抱えた女性達や手をかざしてくる女性達等々、ありとあらゆる宗教勧誘者が押し寄せていました…

勧誘者は2人以上で訪ねてくることが多かったのですが、1人は本当にその宗教を信じている人、もう1人はその信者を使ってこちらを騙そうとする人でした。

死が確実に迫っている人間に対して、おかしな論理で迫り、お金を絞り取ろうとする人々。

当時中学生だった私は、今より更に無知で対応力に欠けていたので、そんな人達に何も言うことができませんでした。

やったことといえば、玄関の壁に「宗教団体お断り」とマジックで書いた大きな紙を貼ったくらい…

今考えてもお粗末な行動ですが、子どもなりの必死の抗議だったのだと思います。

でも不思議なことに、それ以降それらの勧誘が来なくなったので、多少の効果はあったのかも。

宗教を信仰して救われるかは人それぞれ
ヨーロッパを中心に信仰が篤い、某世界的宗教。 聖書片手に街頭に立つ人や、教会、関連の学校を目にします。個人的には無宗教なので、信じる人は信じればいいと思っています。 が、時々そんな信仰を強制してくる人がいて辟易します。 1人暮らしが長かった...

でも書いたように、宗教によって救われる人もいるでしょうが、救われない人がいるのも事実。

宗教勧誘はこの世から滅びて欲しいですし、絶望の渦中にいる人を「お金を払って信じれば救われる」という傲慢な考え方もやめて欲しいです。