西郷隆盛ゆかりの地、鹿児島市内は西郷隆盛一色①でも紹介しましたが、鹿児島市内にある数多くの観光地の中で、最も印象に残っているのは鹿児島市維新ふるさと館。この施設は、幕末薩摩の偉人や当時の暮らしの詳細を知ることができる他、映像でも楽しめる構造になっていて、機会があれば再度行きたいほど魅力たっぷりの場所なのです。
維新ふるさと館前にある南州橋という木造橋は、南洲が西郷隆盛を指す言葉であるがゆえ西郷隆盛橋ということになります。
ちなみに、維新ふるさと館は見どころ満載の施設なので、鑑賞には十分な時間を確保することをお勧めします。時間が足りないと駆け足での鑑賞となってしまい、後悔が残ってしまいます。
入口から見て左側にあった西郷隆盛と大久保利通の詳細な特徴を表した表は、とても分かりやすく興味深い内容でした。2人をここまで細かく対比した表は、この施設ならではでしょう。
薩摩藩主である島津家の歴代当主表もありました。とても分かりやすい記載で、どんどん薩摩藩にのめり込んでいきます。
西郷隆盛と大久保利通に関する年表もありました。この他にもここには紹介しきれないほど数多くの展示品がありましたが、どれもこの施設ならではのものばかり。歴史に詳しくない人でも引き込まれる魅力あふれる施設でした。
維新ふるさと館のすぐ傍には、加治屋町という町があります。ここには維新ふるさとの道という歴史ロードがあり、道沿いには幕末から維持維新までに活躍した人々に関する詳細な説明書がずらりと並んでいます。
その中では、この辺りに住んでいた武士屋敷が復元されたものも。
下級武士の住居は、こうした形態のものがほとんどだったそうです。
住居内の様子。
私の実家周辺では、いまだにこういう建築様式の家がありますから親近感を覚えます。
維新ふるさと道を脇にそれると、西郷隆盛誕生地があります。住宅地に挟まれているので分かりにくいですが、広場のようになっています。
そこに建っている石碑には、「西郷隆盛君誕生之地」との記載があります。その横に小さく建っている石碑は、西郷隆盛の弟・西郷従道の誕生碑です。加治屋町は、西郷隆盛の他にも大久保利通、大山巌、東郷平八郎、黒田清隆などを輩出した土地でもあり、有名な町になっています。
再び維新ふるさと道へ戻り歩くと、戦災復興記念碑とよばれる石碑がありました。この石碑は、鹿児島市が太平洋戦争末期に8回の空襲を受けて市街地93%を消失したにもかかわらず、その後南日本最大の都市へと復興を遂げたことを記念して建設されたのだそうです。
ところで今回観光中、鹿児島が公権力強大地域だと認識せざるを得ないものをいくつか見かけました。まず、駅構内にあった鉄道警察隊。出入りしている人は見かけませんでしたが、駅の目立つ場所にこんなものがあるなんて物々しい限りです。
またこちらは、警察車両風の路面電車。鹿児島県警を宣伝する必要性がどこにあるのか不明ですが、こんな威圧的な路面電車を見たのは初めてです。ちなみに、鹿児島市内観光で1番驚いたのは、小学校校舎の壁に巨大な文字で「敬天愛人」と書かれていたこと。西郷隆盛の座右の銘を、公立小学校校舎の壁に貼り付けてしまうとは。いかに鹿児島県民が西郷隆盛を崇め重んじているのかが伝わってきました…
という訳で、鹿児島市内は西郷隆盛一色という印象を受けましたが、それだけ歴史に与えた影響が大きいという認識があるのでしょう。鹿児島市内のある飲食店では、西郷隆盛の本当の顔が写った写真を飾っていましたし。また時間をかけてじっくり散策したい、鹿児島市内はそんな場所でした。