吉原から興津までの22.4kmを歩いた②【東海道を歩く】から1年半以上が経過…
東海道歩きは諦めたかに思えましたが(夫が後ろ向き)…なんと箱根峠越えに着手。
ただ、峠越えなので季節と天気に気を付けたいと思っていたら、ここまで延びてしまいました。
今回は、1号線を歩くのは怖いので旧東海道732号線と箱根旧街道石畳を利用し、箱根湯本(三枚橋)から元箱根までを歩きました。
実際歩いてみると、石畳の道は乾燥していても枯れ葉・石ころ・枝などが落ちていて滑りやすく、疲れていると足を取られそうになって危なかったです。
そのため石畳はほどほどに…大半は箱根登山バスが走行する旧東海道732号線を歩きました。
ちなみに、今回は山の中でも昼食が摂れるようにおにぎりとおかずを持参。
あと夫希望でレモンも(疲労回復効果)。
あと水!晴れているとかなり汗をかくので必須です。
さらに、東海道歩きの持ち物(日帰り)で書いたミックスナッツと夫希望のチョコレートも。
今回は山道ということで、念のための携帯食品が多めです。
それでは、箱根湯本(三枚橋)から出発です!
電車遅延で出発が11時過ぎになりましたが、快晴の中歩けることに感謝です。
箱根湯本駅を背に三枚橋まで行き、そこを右折して旧東海道へ入っていきます。
三枚橋バス停。
箱根では静岡県内にあったような東海道案内版が少なく、箱根登山バス停が心強い存在になりました。
732号線へ入ると歩道はなくなり、コンビニやバウムクーヘン屋さん通過後は、ひたすら民家と旅館です。
意外に車の通りが激しいので、道の端を注意深く歩いていきます。
「ホテルはつはな」のバスが何度も行き来していました。
強い日差しが照り付ける中、急な上り坂をひたすら進んでいきます。夫は既に汗ダラダラです…
そんな風に歩いていると、白山神社(写真は振り返って見たところ)。
江戸時代までは「白山権現」と呼ばれ、地元の人々に温泉の守護神として崇められていたとのこと。
境内の手水舎には、「白山水」と呼ばれる御神水が湧き出ているそうです。
白山神社を過ぎると、早雲寺。
早雲寺は臨済宗大徳寺派の古寺で、1521年北条早雲の息子・氏綱により創建され、小田原北条家の菩提所(ぼだいしょ)として栄えましたが、1590年秀吉の小田原攻めの際に焼失。
現在の建物は江戸時代再建以降のものだそうです。
早雲寺を通りすぎると、弥坂湯(やさかゆ)。
大衆的雰囲気を醸し出すこの弥坂湯は、完全源泉かけ流しで地元の人々に愛される銭湯的温泉だそうです。
正願寺と箱根観音の案内版。
ただ、先を急ぐので通過。一応説明書だけ以下に記載。
正願寺は、曽我兄弟の供養地蔵がある大徳寺派のお寺で、当時湯坂路を往来する極楽浄土を願う旅人達の厚い信仰を集めていました。
箱根山には曽我兄弟の墓があるので、曽我兄弟について少々。
1176年10月10日、伊豆に流されていた源頼朝を慰めるために催された伊豆奥野の巻狩の帰途、曽我兄弟の父・河津三郎祐泰は赤沢山麓の八幡野で、一族の所領争いから工藤祐経の郎党によって射殺されてしまいます。曽我兄弟はこの仇討ちをすべく18年間に及ぶ艱難辛苦の末、1193年5月28日の夜、頼朝によって富士の巻狩が行われていた西麓井出の仮屋で、仇敵・工藤祐経を討ち取り本懐を遂げました。兄・十郎祐成22歳、弟・五郎時致20歳の時でした。
また箱根観音は、盗賊の襲撃から一命をとりとめた旅人が観音菩薩像を安置し、旅人の安全を祈願したことが始まりのお寺だそうです。
そんなお寺を過ぎると、「いよいよ山の中へ」という雰囲気に。
猿沢橋を渡ります。
箱根新道の交差点を通過。
歩道がないので、車の往来に注意しながら道の端を歩きます。
そんな道の端にはどんぐり。
途中にあった元箱根までの地図によると、この辺りから須雲川自然探勝歩道という道が整備されており、
その歩道は、1680年頃に造られた旧東海道に沿って造られていることが分かりました。
歩道の一部は旧東海道石畳と重複していますが、その大半が関東大震災と北伊豆地震によって崩壊・埋没しているため、一部の石畳は再現されたものだそうです。
ただ、須雲川自然探勝歩道は歩きにくそうなので、これまで通り732号線を歩き続けることに。
畑宿まであと4km、元箱根まであと9km。
夫は汗ダラダラ。影は涼しいですが日なたはかなり暑い…
上り坂をどんどん進んでいると、天山湯治郷(てんざんとうじきょう)。
ここは湯治専門の温泉郷で、源泉100%かけ流しの泉質が評判らしく、肩凝り・冷え性に抜群に効く塩化物泉と、美肌効果の高いアルカリ性単純泉の2種類があるそうです。
8000坪の敷地内には充実した湯治施設のほか、食事処や休憩スペースもあるとのこと。
バス停があるので、箱根湯本からのアクセスも比較的便利かと…いつか訪れてみたい!
快晴が続いています。紅葉も進んでいます。
ちなみに、この周辺の集落を須雲川(すくもがわ)といい、昔は川端とも呼ばれていたそうです。
川の名前だけでなく地名にもなっているんですね。
この辺りに集落ができたのは江戸の初め頃で、箱根道を往来する人々のため&その道を維持管理するために、一定の間隔で集落をつくる必要があったみたいです。
そんな集落の道沿いには、鎮雲寺(さうんじ)という臨済宗のお寺。
鎖雲寺は、早雲寺の塔頭(たっちゅう)の一つとして箱根湯本に創建されましたが、東海道が賑わいを見せはじめた1630年須雲川村に移されたそうです。
山の中に見えた、天狗茶屋と箱根大天狗山神社。
ネット情報によると、危険な場所扱いされている怪しい神社で珍スポット化されている模様…
そんな怪しい神社を見つけながら歩き進めていると、須雲川自然探勝歩道。
これまで歩いてきた732号よりも近道そうだったので、ここからは軽い気持ちでこの歩道を選択。
畑宿まで1.7km。
須雲川沿いにある歩道のため、時折川が見えます。近くには東京電力の発電所もありました。
マイナスイオンを感じながらの山歩きで涼しいですが、アスファルトの道よりも歩きにくいのが難点…
しかも途中、須雲川を渡る必要があり、その橋となる材質が丸太や岩で滑りやすくて…
この道を選択したことを心底後悔しました。
冷や汗・脇汗かきまくりで川を渡る際の写真を撮り忘れました…あぁ怖かった。
無事に渡れて一安心。
その後、やっとのことで須雲川自然探勝歩道を脱出し732号線に戻ってくると、箱根天聖稲荷大権現神社。
これは、先ほど山の中に見えた箱根大天狗山神社の別院扱いとなっているもの…やっぱり怪しい。
長くなってしまったので、続きは箱根湯本~元箱根の11.3kmを歩いた②【東海道を歩く】へ。