今月に入って過去に読んだ本をいろいろ読み返していますが、記憶が飛んでいるせいなのか、自分が変化しているためなのか、繰り返し読んで理解が深まっているのか、内容が新鮮に映ります。
先日読み返した『タテ社会の人間関係』では、幼少期から感じていた日本社会の違和感の原因を、ようやく理解しつつある気がしました。
生まれてから10回以上の引っ越しで、西日本の田舎や都内などいろいろな土地に住みましたが、そのどこでも感じたのは序列意識でした。
もちろん人によって、地域によって、普段属している社会によって、その意識に強弱はあったと思いますが、あらゆるところで序列意識を感じました。
利害関係を含む場合は、それが露骨に表れていたような気がします。
序列意識は社会に暮らしていればさまざまな場面で刷り込まれるため、類まれな鈍感力がない限りは持たないほうが難しいのかもしれません。
幼少期を思い出すと、田舎に住んでいた頃は本家分家の差から始まり、地域内での家の格(在住歴が長いほうが上)、先輩後輩の上下関係、義務教育内のヒエラルキー、学校では教師間の力関係、社会全体に男尊女卑が存在していた覚えがあります。
他国事情はわかりませんが、日本では幼少期からあらゆる分野で県大会、地区大会、全国大会などに参加させる構造があり、偏差値教育やあらゆる分野での順位付けなども含めて、序列意識を強固にする仕組みが整っている気がします。
そう考え始めると、社会の構造自体が序列意識をあおるものに見えてきて、『タテ社会の人間関係』でも書かれているように、
「ソーシャル・ストラクチュア」の持続性・固執性の度合いは、その社会の歴史が古いほど、またその社会の人口が大量で密度が高いほど強いものである。(p23)
ため、戦後の人口増加・都市集中によって、どんどん序列意識が強まっているのかもしれません。
他国に比べて公教育への税金投入率が著しく低いことにより、日本の公立学校教育ではいまだに少人数教育を行えていません。
その結果、公立学校教室内での人口密度は高い状態となりやすく、結果、序列意識が強まり、子どもたちに悪影響を及ぼしている可能性も高いと思います。
ちなみに、「序列」という規準はどんな社会にも存在していて、他国にももちろんあるようですが、
日本以外の社会では、その規準が社会生活におけるあらゆる人間関係を支配するというほどの機能をもっていない(p85)
そうで、他の規準(たとえば能力)に対して譲歩することもよくあるそうです。
例えば、中国では個人の実力や秀でた功績に対しては、いつでも序列を譲る用意があり、
何か重要な決定を要する際には、年長者に対しても堂々と自分の意見を披瀝するといい、
日本人のように、下の者が自分の考えを打ち明ける度合にまで序列を守るということはないそうです。
また、インドでもカースト制があるにもかかわらず、若者や身分の低い人々が、
年長者や上の身分の人々に対して目に見える行動では序列をみせますが、堂々と反論できるというのです。
日本の序列意識に最も近いとされるチベット社会でも、学者の討論の場においては、完全に序列意識が投げ捨てられるそうです。
日本では儒教よろしく敬老精神以外にも、序列意識と相性がいいのか?軍隊教育による上下関係が根強く、
友人関係以外では対等なコミュニケーションはほぼ困難な場合が多く、
ただ意見述べるだけで、口答えと見なされるケースも数多くあります。
そんな、思想まで支配するほど序列意識が強いのはなぜなのか?
それは日本が、社会主義国においてさえ認められている能力差すら認めようとしない、能力平等主義の社会だからだそうです。
能力平等主義だからこそ、「誰でもやればできる」「努力して当たり前」という思想が蔓延してしまうようです。
結果、生まれたときから能力差があるにも関わらず、全員に努力を強要・強制させる過程であらゆる悲劇を生んでいる可能性もありそうです。
もちろん、階級社会にあるような差別や区別は受けないため、それなりの学歴を満たせば一発逆転のチャンスは見込めるかもしれません。
ただ、能力平等主義の場合は、持って生まれた能力に個人差があるにもかかわらず、一定のタイミングまでは、日本社会が求める奴隷量産教育や偏差値教育で測れる能力だけが、必要とされます。
そのため、日本社会が求める奴隷量産教育や偏差値教育で評価される能力を持ち合わせていない場合には、
本人の能力が別のところにあっても、周囲がその能力を見抜けない場合、その能力を伸ばせない場合、その能力に価値を置かない場合には、
日本社会で生きていくためだけに必要とされる能力向上のために、半強制的な病的努力が尊ばれてしまう可能性があります。
年間自死者3万人以上、虐待・折檻・体罰・いじめ・パワハラ(などの犯罪)発生原因がすべて、能力平等主義による序列意識にあるとはいえないかもしれません。
ただ、序列意識による「タテ社会」の人間関係が根強い日本では、個人が孤立する環境が整いやすく、
孤独感、孤立感、疎外感、のけ者意識、邪魔者意識、役立たず意識などを個人が持ちやすくなります。
結果、弱者への精神的・物理的攻撃が起きやすい社会になると考えられます。
能力平等主義による序列意識が根強い日本社会
この本から想像するに、おそらく数百年前から日本列島ではこの社会構造があったのだろうと思います。
ただ、人口増加・都市集中によって人口密度が高い地域が増え、そうした序列意識を強く経験してきた世代が社会の大部分を占めている間は、どうしてもその弊害が大きくなってしまうのかもしれません。