ベトナム・ホーチミンを訪れた際、強く印象に残った2カ所を記録しておこうと思います。
フランス統治時代に建てられた中央郵便局やサイゴン大教会なども有名ですが、
それ以上にホーチミンには有名な場所があります。
その1つが、統一会堂(旧大統領官邸)。
ここはベトナム戦争終結の場で、最初の建物はフランス領インドシナ時代1873年に建てられ、
フランス知事やフランス総督によって使用されていました。
1962年にクーデターが起こって建物は大破。
その後、1966年に再建され、ベトナム戦争終結までは大統領府及び官邸として使用されていました。
1975年にもう一度再建されたものが、今の建物だそうです。
現在は、国賓を迎える時や国際会議に使われる時以外は、一般公開されているらしい。
敷地内には戦車も。旧ソ連製戦車だそうですが、物々しさを感じます…
建物内部へ。
部屋数は100以上もあるそうですが、この部屋は慶節室と呼ばれていて、今でもサミットなどに使われているそうです。
こちらは、内閣会議室。洗練されていて、余計な装飾がないスッキリとした部屋でした。
こちらは、応接間。
こちらは、ベトナム戦争当時の作戦会議室。
1960年から始まったベトナム戦争は、南北統一をかけた15年間の長期戦争でした。
ここ統一会堂は、ベトナム戦争が終結するまでは南ベトナムの大統領官邸であり、大統領とその夫人が暮らす邸宅でもありました。
それゆえ、堂内には寝室をはじめ、映画館や図書室、庭園といった娯楽施設もありました。
しかし、その大統領官邸も1975年4月30日まででそれ以降は戦争が終結し、南北が統一した場として、
1976年に大統領官邸から「統一会堂」と改名し今に至っています。
こちらは、大統領の応接室です。
素敵な絵が飾ってありましたが、作者とタイトルがわかりません。
知っている方がいたら教えてください。
統一会堂の屋上から見た景色。
屋上には、米軍が使っていた軍用ヘリUH1が展示されています。
ベトナム戦争関連の映画でよく出てくるそうですが、ちょっと怖かったです。
もう1つ印象に残ったのが、戦争証跡博物館。
ベトナム戦争では南北合わせて500万人のベトナム人が犠牲になり、数百万人を超える負傷者がでましたがその犠牲者の半数以上は民間人でした。
また、南ベトナムを支援していたアメリカ軍が大量に使用した枯葉剤(Agent Orange)の影響で、
戦後40年以上経った現在でも苦しんでいる人が大勢います。
屋外に展示された多くの戦闘機や戦車、館内に展示された大砲や爆弾などの遺物、
戦時中の残虐行為が記録された写真、戦火を逃げ惑う民間人の写真などの展示を見ていると、
重い気持ちになってきます。
枯葉剤の影響で亡くなった胎児や、戦後も先天的な健康被害に苦しむ多くの人々の写真は、
見るのを憚られるほどです。
館内案内図。そこまで広くはありませんが、内容の濃い博物館です。
戦車や戦闘機、ヘリコプターが展示されていました。
子ども連れの方は、館内に入らずこの程度の見学にとどめておいた方がいいかもしれません。
館内の展示は、刺激が強すぎる恐れがあるからです。
不発弾や戦争中の写真など、戦争の恐ろしさが生々しく伝わってくる展示の数々に、
目を背けたくなるものも多くありました。
ベトナム戦争で化学兵器として使用された「AGENT ORANGE(枯葉剤)」には、
ダイオキシンが含まれており、その猛毒性によって多くの人々が今もなお苦しんでいます。
どれだけの爆弾や戦闘機が使用されたかを示した表もありました。恐ろしい数です。
犠牲者の数が多すぎて、考えるだけでおかしくなりそうです。
戦争証跡博物館には、ベトナム戦争を取り上げた新聞や広告も展示されており、
その中には日本共産党をはじめ、多くの新聞、ジャーナリストたちが、非戦争、アメリカ撤退を訴えていたものが残っていました。
ベトナム戦争でアメリカが撤退したことは知られていますが、武力による撤退ではなく、
世界中から非難された世論による撤退ともいわれています。
世界的に右極化していますが、戦争犯罪ビジネスに一般人を巻き込む軍需産業は即滅びてほしいです。
また、戦争を支援している企業もありますが、そうした企業の商品は買わないように今後も気を付けていきたいです。
戦後70年経った日本にも、いまだに戦時中の後遺症で苦しんでいる人がいます。
これは私の勝手な推測ですが、最近様々な精神疾患を患う人が増えた原因の1つは、
戦争によって前世代が受けた傷を、後々の世代がカバーしているからだと思います。
現在60代半ばの人々の親世代が戦争を経験し、食糧難・物資難にあえいだ結果、
親からの愛情不足な子どもが増え(売られたり養子に出されたり)、
それが世代をまたいで現状に至っているのではないかと想像しています。
もちろん、ストレスや食事などにも原因があると思いますが、戦争の傷跡はそれほど深く、
数世代に渡って人を苦しめるものだと思います。
今後再び戦争する社会に生きたくないので、そうした社会にさせないために、
自分ができることを地道に続けていこうと思います。