ぺんぎんメモ

与えられた環境で精一杯生きると、病気になる・身体を壊す

time 2017/03/01

社会人になってから、周囲の評価を気にして働くことに多くの時間を費やしてきました。仕事は相手があってのことですから、求められたことを返すのは当然と思い、可能な限り付加価値を付けて返すようにも努めていました。

また、上司を始め仕事関係で知り合う人々の多くが猛烈に働いており、1年365日休みなく7年間働いている(!)人もいたので、「これが日本の常識、自分はまだまだ」などと思いながら働き続けていました。

でも、徐々にそんな働き方はおかしいのでは?と思うようになりました。なぜなら、多くの人が、家族や友人と過ごす時間よりも会社で仕事に費やす時間の方が多く、薬を飲みながら身体をボロボロにして働いていたからです。

仕事をしなければ生きていけない状況があるのは確かですが、だからといって大切な人との時間を犠牲にしてまで得たいものは何でしょう?自分の身体を壊してまでやるべきことは何でしょう?

そうした生き方で得られるものが、自分が大切にしているものなら良いと思います。好きなことを仕事にしている場合は、休みなしで働くことが苦になりにくいので。

でも、違和感を感じる嫌いな職場環境で、残業当たり前の過酷な働き方をしていれば、遅かれ早かれ心身ともに壊してしまうと思います。

啓発本や中国古書などには、与えられた環境で精一杯生きることを美徳とする思想が蔓延しています。学校教育でもそう教えられますし、親や周囲の大人からもそう言われて育つことが多いかもしれません。

確かに、そうやって与えられた環境で生きていくことしか選択肢がない時代であれば、仕方ないのかもしれません。でも、現代は自分が選んだ環境で生きることが可能な時代

与えられた環境で精一杯生きるという考え方は、支配層に都合のよい思想であり、「過酷で劣悪な生活環境・労働環境であっても、それに耐えて生きる・働くことが大切」という、個人ではなく社会を優先する人権無視の考え方なのです。

極端な言い方ですが、「与えられた環境で精一杯頑張る」という考え方は「社会の犠牲になったまま生きる」ということであり、庶民に正論を振りかざして裏で甘い汁を吸っている人々や組織のために、自分や家族の人生を犠牲にし続けることでもあります。

もちろんそうした奴隷的ドM思想が心地よく、社会の未来なんて政府や自治体や親や知識人が考えればいいと思っている人は別に無問題。でも、よりよい社会にしたい、家族や友人、大切な人との時間を大切にしたい、人権無視の労働環境はおかしいなどと少しでも問題意識をもつ人々には、「与えられた環境で精一杯生きるな」と言いたいです。

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奨学金を返済しながら移住・セミリタイア生活に向けて準備しているブログです。安全な食、倹約、生活環境への言いたい放題、旅行など実体験を踏まえてお届けします。

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