折檻・虐待・体罰は暴力であり「犯罪」、しつけや愛情にはならない現実を受け入れる必要がある

今回の話は、ちょっと暗い気持ちになる話題なので、苦手な方はページをそっと閉じてもらうようお願いします。

江戸時代は子どもにとって天国・楽園で、親や大人から愛情をたっぷり受けていたでも書いたように、折檻・虐待・体罰が始まったのは明治時代以降なので、欧米諸国流の教育方法が流入してきた結果なのかもしれません。

が、日本社会において、いまだに虐待・折檻・体罰が、「躾」や「愛情」と称される風土には疑問を持っています。

折檻・虐待・体罰は、暴力であり犯罪だと思っているからです。

もしかすると、私が幼少期だった20~30年前とは違って現状は改善されていたり、もともと折檻・虐待・体罰がない地域もあったりするのかもしれません。

ただ、幼少期から「虐待」「体罰」という言葉を耳にすることが度々あり、今も割と社会に浸透しているところを見ると、いまだにそういう風土があるのかなと思えてしまうところがあります。

特に、他人が介入できない閉鎖性が高まる空間では、立場の強い者が弱い者に対して、折檻・虐待・体罰を加える事象が起きやすいのかなと思います。

最近はよく分かりませんが、数年前までは、折檻・虐待・体罰に反対する意見を述べると、「それはあなたが子どもを育てたことがないから」「教育現場を甘く見るな」などと批判を受けていました。

が、それらを学校や家庭内で受けた側から言わせてもらうと、、、

折檻・虐待・体罰が「躾」や「愛情」として相手に伝わることは稀であり、受けた側には傷となって一生付きまといます。

私の知る限り、虐待や体罰は、理不尽な理由で行われていることがほとんどで、口頭注意で済むにもかかわらず、いまだに軍隊教育・・・日本の学校の異常でも書いたような暴力行為が横行している印象しかありません。

折檻・虐待・体罰はそれが起こってしまう背景を考えて、その背景を改善するように社会全体が制度も含めて変わることが不可欠だと思います。

日本は、子どもを育てる母親に対して世界一冷たい社会なのでは…と思うような情報を耳にすることが多く、そんな環境では、母親が追い詰められて折檻や虐待をしてしまう可能性が上がるかもしれません。

また、公的教育費の対GDP比率で痛感する日本の公教育費の少なさでも書きましたが、教育現場を改善するためには、教員1人当たりの負担を減らすために、他国と同水準の税金投入が不可欠です。

公立教育現場の現状では人員が少なすぎるため、生徒の教育がままならないだけでなく、業者に頼むべき業務まで教員が担っているケースまであります……また、地方は世襲教員が多いため、体罰を加える風土がなかなか変わらない可能性も高いと思います。

日本社会は、各社会の問題を個人の能力で解決しようと、個人に負担を強いる傾向にありますが、そのやり方だと、最終的に個人の負担が大きくなって崩壊するだけのような気がします。

現実を直視し、個人の能力に頼らない、社会全体で支えていく教育システムを構築する時代にきていると思います。