ぺんぎんメモ

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子どもを大切にしないのに少子化を非難するのはおかしい

time 2017/11/13

まずはじめに、私は折檻・虐待・体罰が「躾」や「愛情」と称される風土に疑問を持っています。考えると少々暗い気持ちになってくる話題なのですが、今日は少しだけこの話題には触れてみようと思います…スミマセン。

先ほど風土と言ったのですが、それは社会全体から見れば一部の社会に見られる現象かもしれないので、実態は分かりません。ただ昔から「折檻」という言葉があり、今も割と社会に浸透しているのを見ると言い過ぎではないのかなと感じています。

特に、社会の最小単位である家庭内では、他人が介入できない閉鎖性が高まるので、家の外である社会で溜まったストレスを、家の内である社会で発散・解消しようと、立場の強い者が弱い者に対して折檻・虐待・体罰を加える事象が起き続けています。

それ自体も問題だと思うのですが、そんな社会でありながら「少子化」を嘆いている現状も非常におかしいと思います。もちろん産みたくても困難な諸事情がある場合もあります。

が、不要な暴力行為を子どもに与え続けた結果として自然発生的に子どもを産む人が減少している、という流れもあると思うのです。

諸外国では折檻・虐待・体罰は暴力として犯罪行為とみなされていますが、日本ではそうした風潮は薄くいまだに「躾」や「愛情」と称賛される風潮さえあります。

そして、折檻・虐待・体罰に反対と表明すると、「それはあなたが子どもを育てたことがないから」、「教育現場を甘く見るな」と批判を受けます。

が、それらを学校や家庭内で受けた側から言わせてもらうと、折檻・虐待・体罰が「躾」や「愛情」として伝わることは稀であり、受けた側には傷となって一生付きまとい、その傷は子どもや孫にまで伝染してしまうのです。

その結果、子どもを産んで育てるよりも、受けた傷を癒すために一生を費やす選択をすることになり得ます。

これは偏った極端な例かもしれませんが、私自身は折檻・虐待・体罰が与えるものは100%マイナスと主張したい。ゆえに、その概念が社会全体で共有され風土として根付き、子どもを大切にする違った形の教育が実現することを願っています。

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