引き続き、『日本が売られる』(堤 未果、2018)から引用します。
の続きです。
アメリカの医産複合体は、TPP交渉の際にも
条文のあちこちに薬価を抑制する各国の規制を外す内容を埋め込んでいた。(p200)
そうですが、それでは、
医薬品の特許を伸ばしたり、ジェネリック薬が市場に入りにくくすることで、高い薬が買えない人々の命は危険にさらされる。(p200、201)
ことになってしまいます。
特にジェネリック薬の需要が多い途上国や新興国にとっては死活問題だ。
だが、医産複合体から毎年5000万ドル(約50億円)以上の献金が降り注ぐワシントンにとっては、農業や他部門同様、他国の事情は交渉の手を緩める理由にはならなかった。
新薬の販売利益を損ねるジェネリック薬は邪魔なのだ。(p201)
これまで、保険証の裏面に「ジェネリック医薬品希望」という記載を見て、政府が推進していることだから、と不信感を抱いていました。
実際、ジェネリック薬のことをネット検索すると、後発医薬品であるため、薬によっては成分や効用などが先発品より劣る可能性があり、医師が使いたがらないこと等とも相まって、他国に比べて日本での使用率は低いことが分かりました。
ただ、確かに日本の医療費における薬剤費の割合は大きいため、政府としてはジェネリック薬を推進したいと考えるのは当然かもしれません。
とはいえ、日本においてはまず、薬を多用しなければならないような社会構造自体に問題があると思うので、命に関わる場合以外は、薬の使用を促すような風潮を変える世論形成のほうが先だと思います。
TPP交渉から、
アメリカが抜けた後、ベトナムやマレーシアなどの新興国はすぐに、アメリカがゴリ押ししていた医薬品特許に関する部分を、TPPの条文から削除してほしいと申し出る。(p201)
医薬品に関するアメリカの要求は、まさに命より利益、「今だけカネだけ自分だけ」の王道と言える内容だったからだ。
アメリカがゴリ押ししていた理不尽な項目はかなりの数にのぼり、特に今ではすっかりアメリカの主要産業と化した「知的財産権」に関わる項目については、各国の主権を奪いアメリカのグローバル企業が一人勝ちするように作られていた。
ベトナム・マレーシア同様、他の参加国も次々にアメリカの置き土産を削除する要求を出し始める。(p201)
しかしながら、アメリカに従属する日本政府は、
鮮やかな交渉能力を発揮して参加国からの「削除要求」を次々に却下、最後には4分の1の22項目まで減らすことに成功する。(p202)
各国は不満を残しながらも、まあアメリカがいないだけマシかと言わんばかりに、揃って条約に署名したのだった。(p202、3)
アジア諸国に対する日本政府の高圧的態度は、日本人として情けない限りですが、本来であればそうした態度は、アメリカとの交渉の際に発揮してもらいたいものです。
でもひとまずアメリカが抜けて、当初の心配はなくなったのでは?
そう思うのは、まだ早い。
アメリカのゴリ押しリストは、削除されたのではなく、日本政府のたゆまぬリーダーシップによって、一時的に「凍結」させられただけだからだ。(p203)
つまり、再びアメリカをTPPに加入させる大統領が就任すれば、
凍結されたゴリ押し項目は全て解凍されることになっているのだ。(p203)
ついでにもう一つ、アメリカが中心だったTPPとは別に、中国・インドなどアジア系の国と日本が交渉中のRCEP(東アジア地域包括的経済連携)でも、TPPと全く同じ、医薬品データの独占でジェネリック薬の販売を拒み新薬の価格を高騰させる「知的財産権」に関する複数の条文が、交渉テーブルに乗っている。(p203、4)
インドは2019年にRCEPから離脱しましたが、日本を含む加盟国の大半で、今年1月1日RCEPが発効されてしまいました、、、
国境なき医師団や参加国の医療従事者たちがRCEPに猛反対していることは、日本国民に知らされていない。
それもそのはず、グローバル製薬企業の忠実な腹心のごとく、医薬品価格を跳ね上げるルールを率先して仕掛けているのは、他でもない日本政府なのだ。
薬の値段が跳ね上がれば、日本の国民皆保険制度は形骸化し、貧国大国アメリカと同じように「命の沙汰も金次第」の社会がやってくる。
アメリカで何十人もの医療関係者が私に警告したように、医療を「商品」にすることは、国民の命を売り渡すこととイコールなのだ。(p204)
今後、日本でも医薬品価格が高騰し、健康保険料が上昇し続けてしまうと、健康保険料が支払えなくなった人々は、国民皆保険制度があっても使えない事態が予想されます、、、
と同時に、発展途上国や新興国に住む人々にとっては、医薬品が高額化することで、命の危険にさられる可能性が高くなることが予想できます、、、
日本社会には、命がけで権利や自由を掴み取った経験を持つ人がほとんどいないためか、教育を含む社会環境のせいなのか、仕事中心にならざるを得ない風土や社会構造のせいなのか、自力本願の国民性のためか、諸外国とは違って政治に無関心な人が多い印象です。
結果、先人たちが命がけで掴み取ってくれた選挙権も行使せず、メディア報道を鵜呑みにし、自らの生活環境に直結することを決めている政治に対して、関わろうとしない印象があります。
実際、私も数年前までは仕事中心生活で、選挙権は行使しつつも、政治や社会問題に対して積極的に関わっているとは言えない人間でした。
しかしながら、日常生活に関わる重要なこと、今当たり前に享受している権利や自由は、過去や現在の政治によって決められています。
そして、そこでの決定と密約も含めた条約によって、日本や日本人は数十年間不利益を被り続けています、、、
そんな、生活に直結する重要な事実に対して無関心であり続けることは、反対の声をあげない限りは、肯定している・受け入れているとみなされます。
ただ今後、憲法が改悪されてしまった場合(自民党改憲案)、70年以上前の戦時中のように、今ある権利や自由は制限され、反対の声をあげることさえできなくなる可能性があります。
と同時に、ブログやSNSなどで反政府的内容は何も発信できなくなり、メールにも書けなくなるはずです。
そして新疆ウイグル自治区(東トルキスタン)と同様、至る所に防犯カメラや盗聴器が置かれる監視社会となり、善良な市民でも、密告されたり無実の罪をでっちあげられたりする可能性があります、、、
にも書いたように日本が好きですし、日本政府のことも信頼したいのですが、、、
いろいろな事実を知れば知るほど、日本政府が、日本と日本人およびアジア諸国に対して酷い決定を繰り返していることが分かるため、自分の生まれ育った国なのに、ただただ悲しく情けなく、希望を失いそうになります。
とはいえ、より多くの人に日本の現状を知ってもらえるよう、時間がある限り、ここで書き続けようと思います。