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萩観光「松陰神社」「松下村塾」「萩反射炉」

time 2017/01/24

先日「萩城下町を観光、伊藤博文の幼少期の苦労を想う」について書きましたが、今回は、松陰神社、松下村塾、萩反射炉について紹介したいと思います。

松陰神社

松陰神社は、1890年に吉田松陰を祀って建てられた神社です。

松下村塾改修時に、松陰の実家である杉家により土蔵造りの小祠(私祠)が建立されたそうです。その後、門人の伊藤博文、野村靖などが中心となり、神社を公のものとして創設しようという運動が起こり、1907年に神社創設が許可されたという経緯があります。

現在の社殿は1955年に完成したものだそうで、御神体として松陰が終生愛用した赤間硯と父叔兄宛に書いた文書が遺言によって納められているそうです。旧社殿は「松門神社」として、松陰の門人であった人々の霊を祀っています。学問の神として信仰が厚い神社です。

 

松下村塾

こちらが、松下村塾です。松陰神社の中にあり、大きな鳥居をくぐり歩いていると、右手にあります。

松下村塾は、木造平屋建唐葺の小舎で、当時からあった8畳の1室(正面右側)と、後に塾生たちとの労力によって増築した10畳半の部分(正面左側)とから成っています。意外に小さい建物です。

ここが、出入口です。もともと、松下村塾とは、吉田松陰の叔父である玉木文之進が自宅で開いていた私塾でした。この玉木文之進という人は、吉田松陰に対して幼少期から非常に厳しく教育した人として有名で、吉田松陰の思想の根底には、この人の存在が大きかったのだはないかと思います。

その後、外淑久保五郎左衛門がその私塾の名前を継承し、子弟の教育にあたっていましたが、1857年吉田松陰が28歳の時にこれを継いで、幽囚室からここに移り1858年までの約1年間講義を行っていたのだそうです。

8畳と10畳半という広くはない場所で、たった1年間教えていただけなのに、吉田松陰の教え子たちは、近代日本を背負って立つ逸材へと成長しました。いかに影響力の大きい人物であったかが想像できます。教育力にも長けていたのでしょう。

今から約150年前に、ここで松下村塾が開かれていたかと思うと、感慨深いものがありました。

松下村塾すぐ近くには、実家(国史跡 吉田松陰幽囚ノ旧宅)がありました。松陰が謹慎した幽囚室(3畳半)があります。

吉田松陰は、1830年に萩藩士の杉百合之助の二男として生まれました。6歳の時に、藩の兵学師範だった養父の吉田大助が急死し、その跡を継いで藩校明倫館で兵学を教えることが義務付けられたといいます。6歳で人に兵学を教えるなんて、想像ができません。現代でいう小学生の頃から、大人としての役割を押し付けられて、随分と悲惨な幼少期を送ったのではないでしょうか。

こちらは、松下村塾の目の前にある、「至誠館」です。

吉田松陰が安政の大獄により、1859年に江戸で処刑されてから150年を節目として、吉田松陰の遺墨や遺品類などから松陰の思いを伝えるために2009年にオープンしたのがこの「至誠館」です。松陰の生涯や萩市内を紹介するパネル展示があり、有料展示室では、松陰神社に伝わる松陰の遺墨・遺品類等が展示されていました。時間があれば、見てみるのもいいかと思います。

 

萩反射炉

松陰神社や松下村塾とは離れた地域にあるのが、萩反射炉です。この階段を上ると広場があり、そこに萩反射炉遺跡があります。

西洋式の鉄製大砲鋳造を目指していた萩藩が、1856年に建設したのが反射炉です。
鎖国状態にあった江戸時代に、各藩はアヘン戦争での清国(中国)の敗戦やペリーの黒船来航により危機感をもち、海防の強化に取り組みます。

各藩は、わずかな蘭書の知識などを頼りに自力で、射程距離の長い鉄製大砲や大型の軍艦を建造しようと試行錯誤します。当時、鉄製大砲を建造する際には、衝撃に弱い硬い鉄を粘り気のある軟らかい鉄に溶解する必要があり、その装置として反射炉を用いていました。煙突部分が現存しているようです。

萩藩は、既に反射炉の操業に成功していた佐賀藩に藩士らを派遣し、鉄製大砲の鋳造方法の伝授を申し入れます。一回は断られますが、その後反射炉をスケッチすることは許可されましたが、スケッチした図面は見つからず、「安政3年に反射炉を試作的に築いて大砲などの鋳造を試みたが、本式に反射炉を築造することを中止した」という内容の萩藩の古文書が発見されました。現在、萩反射炉は、この時に築いた試作炉であると考えられています。
当時の蘭書の設計図どおりの反射炉としては「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の資産にもなっている韮山反射炉(静岡県伊豆の国市)が唯一残っていますが、萩反射炉は試作炉としての性質をもった、当時の試行錯誤による産業化を示す貴重な資産といわれています。

 

萩市内には、まだまだたくさんの見どころがあり、その全てを廻り切るためには、時間と体力が必要です。しかし、1度行けば、その歴史を感じられるだけでなく、現代が明治時代から続いてきた結果だと実感できるはずです。アクセスしにくい場所ではありますが、行ってみる価値はあると思います。

(参考資料:萩市観光協会「ぶらり萩歩き」)

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