今日はついに念願の吉野ヶ里遺跡観光です!天気は良好!ホテルで朝食をいただいてから、まずは佐賀駅へ向かいます。
佐賀駅からは、電車で吉野ヶ里遺跡最寄り駅である吉野ヶ里公園駅に向かいます。佐賀駅から約10分で着くとは…意外と近いことにビックリ。
吉野ヶ里公園駅北口から吉野ヶ里公園までは徒歩15分くらい。コミュニティバスも運行しているようですが、1日5本と本数が少ないようなので徒歩で向かいます。
要所要所で案内が出ているので、吉野ヶ里遺跡まで迷うことはありません。田んぼの間を歩いていきますが、空気が美味しい!
散歩を楽しんでいると吉野ヶ里公園に到着。弥生時代の遺跡の中で吉野ヶ里遺跡は日本最大!今から2000年以上前にあたる、700年間の弥生時代の移り変わりを知ることができる貴重な歴史資料です。
ここ吉野ヶ里遺跡は、もともと工業団地を建設しようとしていたらしいのですが、掘り返している最中に遺跡が発見されて歴史公園化したそうです。佐賀県と当時の国はまともですね。
遺跡入口(東口)に到着。左側にレストランやお土産屋さんがありました。訪れた時に歴史公園センターは閉まっていましたが、各区域にいるガイドさんが皆さん親切丁寧に説明してくださったので、吉野ヶ里遺跡に関して知りたい情報は十分に得ることができました。
電車内から見えた遺跡の一部が、入口から遺跡まで歩いている最中にも見えました。
どうやら観光客は私達しかいない様子なので、お手洗いを済ませてからガイドさんから説明を伺うことに。ガイドさんによれば、例年の同時期に比べて観光客は7割減とのこと…
始めに訪れた区域の1番高い建物の最上階から、ガイドさんが各方位にある遺跡(南内郭、倉と市、南のムラなど)について順々に説明してくれました。とても分かりやすい説明で、この地における1000年以上前の暮らしが徐々に頭の中に浮かび上がってきます。
一旦掘り起こした遺跡も全部は展示せずに再度埋めているらしい。地上に展示しているものは一部で、地下にはまだ多くの遺跡が眠っているなんて驚きです。
建物屋根内部。弥生時代も人々の仕事ぶりはこんなに丁寧だったのでしょうか。
広大な敷地には似たような建物群が並んでいましたが、階級が違ったり様々な意味を持って建てられていたり、説明を聞きながら見ると興味深いです。
ここは当時、吉野ヶ里のまつりごとを司る最重要区域であった「北内郭(きたないかく)」と呼ばれる場所。田植えや稲刈りの日取り、戦いや狩りの祈りなど重要な事柄は全てここで決定されていたそう。
そうしたことから、当時ここは指導者たちだけが出入りできる神聖かつ特別な場所であったとされているらしい。2階部分で、いきなり大勢の人が現れて怖かった…
ちょっと拍子抜けしたのは「王の家」。現代人から見ると他の住宅とあまり変わらない造りだったので、当時はそこまで各階級の差がなかったのかもしれません。
ここは北墳丘墓(きたふんきゅうぼ)。吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別なお墓と考えられているそうです。
外観は復元されたものですが、墳丘墓の内部には14基の本物の甕棺や出土品レプリカが展示されていました。
その後、「甕棺墓列(かめかんぼれつ)」を見たかったので、「古代の森体験館」というバス停まで園内を運行するバスに乗りました。暑い日だったので、このバスが大活躍!
甕棺とは弥生時代の北部九州にしか見られない特別なお墓のことで、吉野ヶ里遺跡ではこれまでに3000基の甕棺が確認されているそうです。が、発掘しても保存のために再度埋めているそうなので、展示されているのはごく一部。
ちなみにバス停から甕棺墓列への道のりが分かりにくく、やっとのことで辿り着きました…私達以外に観光客は誰もいなかったので、途中少し怖かったです。
でもその規模に圧巻。独特な形をしていたので、お墓なのに妙に神秘的に感じられました。
数十か所はある丸く盛り上がっている場所が、発掘後に埋めた甕棺のある場所のようです。列の長さが20~40mでひとまとまりになっていることから、血縁関係のある一族の集まりと考えられているらしい。
バスでさらに北側へ行きたかったのですが、訪問時はそのバスが運休中だったのでここで観光は終了することに。東口に戻って敷地内にあるレストラン(10時半~17時)で昼食を摂りました。
ネット情報によると、ここのレストランは味が期待できるらしい!お値段もお値段でしたが、確かに美味しかったです。
お土産屋さんも併設されていました!佐賀県名物も揃ったなかなかのラインアップ(9~17時)。
夫とともにハンバーグ定食にしましたが美味しかったです。他に注文したコロッケも◎
売店でソフトクリームも購入。暑かったので体に沁みましたね。
名残惜しいですが、これから今晩の宿がある湯布院へ向かいます。
吉野ヶ里遺跡、本当に来れて良かった!