20代の頃から薄々気付いていたことですが…私はこの社会に合わせることができないようです。
こういう人間を社会不適合者というのかな…
その片鱗を見せていたのか、過去にストレスが溜まると「鳥に生まれたかった」等と思っていました…
心も頭も完全に病んでますね。
もちろん鳥には鳥なりの過酷な生活環境があるわけですが、日本の野鳥は大量発生するくらい優遇されていて、鳥獣保護法があるくらい。
なので、人間よりは生きやすいとその時は思ったようです。
また、子どもの頃住んでいた山中では、夜になると野良犬や各戸で飼っている犬が一斉に吠え出すのですが、
その時に窓を開けて一緒に遠吠えをしていました……完全に頭イカれた野郎ですね。
私が遠吠えすると他の犬も次々に遠吠えし出すので、自然と仲間意識が生まれて?「生まれ変わるなら犬もいいなあ」等と思っていました。
あと、保育所児や小学生の頃は保育所や小学校で飼っていたうさぎとよく遊んでいたので、人間よりも動物が好きだったのかもしれません。
というより、人間と会話できるだけの能力が乏しかったのかも…
さらに幼少期の話ですが、買ってもらったリカちゃん人形やバービーちゃん人形の髪の毛や、ぬいぐるみ各種の体毛を全てカットしていました。
完全にホラーですね…猟奇的な趣味以外の何者でもありません。
よく自宅布団に倒れ込んで死んだフリもしていたし…
と、10代までは今以上に頭がイカれていて、軍隊的な日常生活に嫌気がさしていました…
それだけ未熟で傷付きやすくて世間知らずで視野が狭かったのだろうと思います。
ただ、30代に突入してもその本質は変わらないようで、「この社会に自分は合わせられない」ことをよく感じます。
そんな社不がなんとか生きていくためには、生きられる土地や場所を見つける以外にないのだろうと思います。
田舎が無理なら都会、都会が無理なら別の田舎、日本が無理ならアジア、アジアが無理ならアメリカ、アメリカが無理ならヨーロッパという風に…
青い芝生の現実逃避かな…
そんなとき有能ビジネスマンであれば、「苦しさをすり抜けてばかりいる人間に、重要な仕事を託すわけにはいかない」とか何とか諭すのかもしれません…
実際問題、例えば外国に住み続けることは滅茶苦茶大変だと思います…差別区別医療食べ物その他…
でも現代は、わざわざ同じ場所にずっと住み続ける必要もなければ、苦しい場所や環境でずっと耐え続ける必要もないような。
「苦労は買ってでもしろ」とか「若い時の苦労は身になる」とか言われますが、体験止まりの苦労は身にならないそうです(『「普通がいい」という病』より)。
社畜サラリーマンとして働いていた頃、最終的に自分の倫理観に反することがあると、どれだけ結果を出しても無価値と感じてしまうことに気付きました…
そんな無価値感を覚える環境で生き続けると、遅かれ早かれ精神病になるので、最初からそんな環境に身を置くこと自体やめようと思い始めました。
これまでも引っ越し族でしたが(現在の住まいは気に入っています)、今後もしがらみや固定観念に縛られない生活をしたいと思っています。
表立ってそんな風に生きている事実が知れれば、この社会では袋叩きに合ってしまいそうなので、
静かに目立たず、ただいつでも移動できる準備はしながら暮らしていきたいです。