『日本人の再発見』明治~昭和までの民衆はただ「存在する」のではなく、命がけで「生きていた」

世界中どこの国や地域でも、何かしらの悲惨な歴史を背負っていますが、日本も地域によっては同じかもしれません。

10年以上前から繰り返し読んでいる『日本人の再発見』(色川大吉、1996)に、

明治~昭和にかけて日本列島各地で起きた事柄に関する記述があります。

重い歴史として迫ってくるものがあり、記憶力が乏しいこともあってか何度読んでも考えさせられるので覚書。

この本で主に言及されているのは、教科書に載っているような著名人ではなく、一般人です。

それも現政府(明治政府=長州政府)からすると、賊軍地域と呼ばれる北陸や東北を中心とした東日本の人々が数多く登場します。

そうした地域に生きながら旺盛な知的好奇心や探求心、たくましい個性によって、

様々な業績、後世にも影響を与える志を残した人々に関する記述は、読んでいて希望を覚えます。

同時に、現代の学校教育で与えられる情報は、現政府(明治政府=長州政府)に都合の良い歴史だけなんだなぁと痛感します…

この本を読んでいて毎回辛くなるのは、そうした明治以降の政府が起こした非人道的行為と、向き合わなければならないからでもあります。

例えば、冤罪的な政治犯も含め、囚人や貧しい地域の人々を酷使し、特に明治~昭和にかけて北海道開拓と西表島の炭鉱でタコ部屋労働を行ったこと。

それ以外にも、明治政府が行った残虐行為は枚挙にいとまがありません。

戦争も含めて閉鎖的環境は、人間を無限に残虐化できる

という事実を、明治政府は体現しています。

もちろん、そうなる素地は人権意識が低かった江戸時代からあったと思いますが、、、

そんな非人道的な歴史を未来には絶対に刻まないよう、現政府の暴走を許してはならないと、この本を読むたびに身が引き締まります。

ちなみに、今回強く印象に残ったのは、明治政府の圧政に立ちあがった秩父事件(1884年)についての記述。

著者は、秩父困民党などを例に挙げながら、当時の民衆にあった力強い個性を指摘しています。

当時、重税や高利貸し保護により民衆を弾圧し続ける明治政府に対して、全国各地で抗議運動が激化し、秩父事件以外にも多くの事件が起きました。

足尾銅山鉱毒事件における鉱毒反対運動のように、公害に関する農民蜂起もありました。

その中で感銘を覚えたのは、秩父事件で民衆1万人以上が武装蜂起したという事実です。

現日本社会では、戦後教育による奴隷メンタルが一般的のため、そんな農民一揆は夢物語です。

もちろん秩父事件以降も、三里塚闘争(成田闘争)など空港建設への反対運動、ダムや原発建設への反対運動、水俣病など公害に対する抗議運動、米軍基地関係の抗議運動などは起こり続けています。

ただ、約100年前までは政府に対して、おかしいことは「おかしい」と声をあげ、それを行動で示せる気骨ある民衆が万単位で存在していたのです。

革命的要素を持った秩父事件のことを知れば知るほど、当時は、政治家や思想家、詩人、小説家だけでなく、

農民にも気概があふれる人が多くいたことが分かります。

これもまた、江戸時代からその素地があったのでしょう。

もちろん皆が皆そうだったわけではなく、中には官憲に密告した者もいたそうです。

また、民衆による思想の正当化や伝播を恐れた地元の有力者たちは、思想工作によって民衆を分断した者もいたようです、、、

もしかすると最初は一揆に参加していたが、武力弾圧や思想弾圧を目にして、保守化に転じた人々もいたかもしれません。

秩父事件を含めた各事件の詳細を知ると、現政府同様、明治政府がいかに暴力的やり方で民衆を弾圧していたかが分かります。

それでも当時の民衆には、割合として多くの「圧政には屈しまいとする能動的姿勢があり、そこには真に「生きる」者としての信念が感じられました

高知市立自由民権記念館で見た、「生きて奴隷の民たらんよりは死して自由の鬼たらん」という命がけの精神が、充填されているようにも感じました。

と同時に、民衆にとって正しいことであればあるほど、その思想や行動の広がりを恐れる政府や既得権益層からの弾圧は、すさまじくなる可能性が高いことも示しています。

自由民権運動~終戦までの非人道的な武力弾圧と戦後教育によって、現日本社会における大半の人々は、

既存のレールに組み込まれたなるべく安定した道を、前例主義的に進む生き方になっているように見えます。

それは「生きる」というよりも「存在する」ような感じです。

その場を上手くやり過ごすための処世術、なぁなぁ主義の事なかれ主義、臭いものにはフタするか除けるかで、

真の原因を、見ざる聞かざる言わざる戦法で突き進んでいます。

そんな社会は、明治政府=長州政府=暴力団のような現政府にとって都合が良く、利権まみれの日本列島において政府は、国民の命や健康よりも今ある利権を守るか増やすかにしか興味関心がありません。

しかし、未来に生きる子どもたちのためには、そんな腐った構造や連鎖をどこかのタイミングで断ち切る必要があります

普段の生活が忙しいと、惰性に流されて社会問題に向き合うことなど難しいかもしれません、、、

私もこれまで選挙や署名活動、住民運動へのカンパ、役所への意見送信以外、ほとんど政治参加してきませんでした。

それでも、過去および現在進行形で闘う人々の存在を知り、今からでも草の根運動を積極的に行っていく気持ちです。

歴史は、為政者らのつくる小さな事実の積み重ねによって進行する。小さな事実だと思って見送っている間に、あるときそれが巨大な「悪」となってわが身にふりかかることがある。(p276)

「時代の動きなど自分には関係ない」としていた若者が、そのとき真っ先に波頭に立たされ、闘争の犠牲に供されるのである。(p276)

そんな歴史を二度と繰り返さないために、自分なりにできることを続けていきたいと思います。