の続きです。
前回、日本はアメリカの属国ではなく潜在的敵国 と書きましたが、
詳しく言うなら、日本はアメリカ・オーストラリア・ニュージーランドの潜在的敵国なのかなと。
実はアメリカは日本の占領を終えるにあたって、日米間の安全保障条約を、もともと現在のような二国間条約ではなく、フィリピンやオーストラリア、ニュージーランドなどを加えた多国間の集団安全保障条約として構想していました。結局、実現しなかったその条約の名を「太平洋集団安全保障条約」といいます。
(『「平和国家」日本の再検討』古関彰一/岩波書店)(p225)
他の加盟予定国から日本に対する不信感が強く、
特に、オーストラリアとニュージーランドが日本と同盟国になることを拒否したため、実現しませんでした。
ここで重要なのは、その条約についてトルーマン大統領がジョン・フォレスター・ダレス〔サンフランシスコ講和条約と日米安保条約のアメリカ側交渉責任者〕にあたえた指示のなかに、
「この取り決め〔太平洋集団安全保障条約〕は、外部からの攻撃に対抗するため加盟国が共同行動をとることを保障すると同時に、加盟国中の一国からの攻撃、たとえば日本が仮に再び侵略的となった場合は、日本からの攻撃に対抗するため、加盟国の共同行動を保障するという二重の目的をもつことになるだろう」(一九五一年一月一〇日)
という言葉があったことです。(p225、226)
これは、日本が再び軍国主義化することを防ぐため、
米軍が日本に駐留することを、
周辺諸国であるオーストラリアやニュージーランド、フィリピンが強く望んでいたためだったようで、
日本は自分が参加する集団安全保障条約のなかで、他の加盟国から「国連安保理の許可なしでの武力攻撃」を受ける可能性が想定されていたわけです。(p226)
しかしながら、この太平洋集団安全保障条約は実現せず、代わりにアメリカは、
- フィリピンとの「米比相互防衛条約」(一九五一年八月三〇日調印)
- オーストラリア・ニュージーランドとの「太平洋安全保障条約(アンザス)」(一九五一年九月一日調印)
- 日本との「(旧)日米安保条約」(一九五一年九月八日調印)
という三つの安全保障条約を、ほぼ同時に結ぶことになりました。
これはいわば、先ほどの「太平洋集団安全保障条約」を三つに分割したものですから、その三つともが、当初の構想だった「日本の侵略政策の再現にそなえる安全保障協定」としての機能を引きついだと考えることができます。(p227)
この結果、
もし日本が在日米軍や米軍基地の存在をおびやかすような行動に出た場合、米軍はもちろん、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドの軍隊が、国連安保理の許可なく、共同で日本を攻撃できるようになっていた。また法的権利としては、現在でもそうなっている(p227)
そうです、、、
つまり、国連憲章にある敵国条項が有効であるだけでなく、
周辺諸国との法的関係においても、日本列島への米軍駐留は望まれている状態にあるわけで、
日本は米軍をつうじて周辺諸国から、再び軍国主義化しないか監視する必要がある国
として法的に認識され続けているということになります。