の続きです。
前回、
「安保条約のようなわが国の存立の基礎に重大な関係をもつ高度な政治性を有する問題」(p85)
には原発問題も含まれ、そこでは法的コントロールがおよばないと書きましたが、
著者は、
おそらく一昨年(二〇一二年六月二七日)に改正された「原子力基本法」に、
前項〔=原子力利用〕の安全の確保については、(略)わが国の安全保障に資する〔=役立つ〕ことを目的として、行うものとする」(第二条二項)
という条文がこっそり入ったのもそのせいでしょう。
この条文によって今後、原発に関する安全性の問題は、すべて法的コントロールの枠外へ移行することになります。(p85)
と指摘しています。
そうやって原発関係の訴訟は、沖縄の軍事基地関係の訴訟と同じように、
日本国民の人権侵害を容認するような判決を出すような圧力がかけられているようです。
その圧力をかけているのが、前回紹介した裏マニュアル①をつくった
最高裁事務総局であることは、すでに複数の識者から指摘されています。
裁判所の人事や予算を一手に握るこの組織が、「裁判官会同」や「裁判官協議会」という名目のもとに会議を開いて裁判官を集め、事実上、自分たちが出したい判決の方向へ裁判官たちを誘導している事実が報告されているからです。(『司法官僚』新藤宗幸著/『原発訴訟』海渡雄一著/ともに岩波書店)(p86、87)
司法自ら、信用失墜を招く行為を行っているなんて、、、
ただ、これまであらゆる訴訟で明らかに不当な判決が出されてきた原因が、ようやく少し理解できた気がします。
一方、行政である政府は、憲法に違反する法律まで制定するようになってしまいました。
結果、政府は、放射性物質は汚染防止法の適用外とし、原子力損害賠償紛争解決センターという機関をで、
賠償するパフォーマンスをしています。が、実際には賠償とは名ばかりの、被害者を口止めするために
痛くも痒くもない金額を支払っているだけなのです。
他にも、法律に関する重要な内容が書かれていたのですが、ここでは割愛します。
つまり今の日本では、
官僚たちがみずからのサジ加減ひとつで、国民への人権侵害を自由に合法化できる法的構造が存在しているのです。(p93)
しかも、日本の原発における日米原子力協定は、
在日米軍基地における日米地位協定と同じような法的構造を持っています。
それは、
「廃炉」とか「脱原発」とか(略)、日本の政治家がいくら言ったって、米軍基地の問題と同じで、日本側だけではなにも決められないようになっている(p95)
ことを意味しており、
条文をくわしく分析した専門家に言わせると、アメリカ側の了承なしに日本側だけで決めていいのは電気料金だけだそうです。(p95)