偏狭で画一的な価値観に絶望していた幼少時代 ー 「この社会はおかしい」

様々な事情が重なり、幼少時代に都心から田舎への引っ越しを経験しました。

それまで住んでいた都会の街が良かったともいえないでしょうが、引っ越し後に始まった山中の田舎生活は私にとっては苦難の連続で、最後までとうとう馴染めませんでした。

最初から田舎に住んでいれば違和感を覚えることはなかったかもしれませんが、そうではなくて物心ついてから偏狭な価値観が蔓延した閉鎖的村社会にぶち込まれると、

幼いながらもよそ者扱いや男尊女卑扱いなどに敏感となる羽目になり、苦痛な生活環境となる気がします。

もちろん家庭環境や私の性格にも問題があったとは思いますが、引っ越し先の同世代がその後、県外や国外へ出て行ったのを見ると、偏狭な価値観のある閉鎖的村社会にも問題があったといえる気がします。

そしてそれは地域社会だけなく、学校社会でも同様です。

いまだに軍隊教育・・・日本の学校の異常でも書きましたが、全国各地の小・中・高の公立学校では、程度の差こそあれいまだに軍隊教育が横行しています。

そこで育成される体力、従順性、思想の画一性、精神性(根性論)は、日本に存在するあらゆる組織に、偏狭で歪んだ価値観をもたらしているように思います。同調圧力とか…

『逝きし世の面影』など江戸時代日本を見た欧米人の記述によると、今から約100年前まではそんな教育はされていなかったようですから、

個人的には、明治時代以降の軍国化に伴って始まった悪しき教育が原因だと考えています。

そしてそんな教育の結果として、社会を円滑に回すためなら人の命を平気で犠牲にする空気も生まれているのだろうと思います。

と、今だからこそ思えるわけですが、当時はネットもない時代ですし、自宅に本も少なく圧倒的に情報量が不足した状態……ゆえに、半分くらいはそんな現実を諦めていました。

ただ残りの半分くらいは、親がいない人、自分で学費や食費を稼いで学校へ通っている人などが周囲に多数いる現実を見て、自分は恵まれているのだから頑張らなければいけないという気持ちでした。

が、そんな恵まれた環境でも身近な人々をここには書けない悲惨な形で何人も失うと、深層的にはやっぱり「こんな社会はおかしい」という気持ちになってきます。

『白夜を旅する人々』の主人公のように、自分に流れている血に疑問を抱くような時期もありました。

が、当時は今以上に無知な田舎の小娘だったので、根拠もなくただ漠然と「もっと違う価値観や考え方、社会構造があるはず」と思っているだけでした。

ただ、その後アルバイトでお金を貯め田舎を出て大学へ行き、社会人となって数年後やはり「日本社会は間違っている」という確信に変わりました。

だからといって、具体的に何ができたというわけでもないのですが…少なくとも軍隊的に、今の日本社会を回す駒や兵隊として生きるのは止めようと思うようになりました。

既得権益がはびこる社会を維持し続けていては、社会がもっとダメになると思ったからです。

そんな感じで、今後の働き方について悩んでいます。