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小泉八雲記念館(松江)―日本人の洞察が鋭い

time 2017/05/19

小泉八雲が1年数か月ほど住んでいた地である、島根県松江市。

小泉八雲という名は小泉セツという日本女性と結婚して日本帰化後に得た名前で、それまではラフカディオ・ハーンという名で知られていました。

小泉八雲=ラフカディオ・ハーンという程度しか知らない人物でしたが(失礼)、今回小泉八雲記念館へ行き館内の説明書や映像によって、小泉八雲について深く知ることできました。

行って良かったと思える数少ない施設でした♪昨年7月にリニューアルオープンしたという通り、館内は新しく快適な空間でもありました。

JR松江駅から、「ぐるっと松江レイクラインバス」という松江市内観光周遊バスに乗って約20分、「小泉八雲記念館前」で降りてすぐです。

記念館では小泉八雲が、恵まれない幼少期を過ごし自ら運命を切り拓く過程で日本に来たこと、16歳で左目を失明したために左目が写らないように写真に写ること、小泉八雲の著書が多くの日本人に影響を与えていること(柳田國男、志賀直哉、夏目漱石、芥川龍之介、小村寿太郎)、54歳という短い生涯だったことを知りました。

ただ、私が1番印象に残ったことは、小泉八雲が日本の教育に関して懸念していた3つの内容でした。

1つ目は、暗記型・詰め込み教育への懸念です。「学問には想像力が不可欠であり、想像力と絡み合わせて学ぶ必要があるにもかかわらず、日本人はそれをしない」などと指摘しています。

また2つ目は、教師に対する親の過度な甘えがあることへの懸念でした。1つ目同様2つ目も、今の教育現場と同じですね。日本人は明治から変わっていないようです。

さらに3つ目は、子どもの栄養不足でした。「学問には十分な栄養のある食事が必要で、それは成長するためにも大人以上の栄養を摂る必要があるのに、子どもには著しく不足している」などと述べています。おそらく、ラフカディオ・ハーンが来日した時代は、日本が軍事国家へと突き進み始めた頃でしたから、重税による貧困に喘いでいた国民の現状を指摘していたとも考えられます。

ちなみに、小泉八雲記念館館長の小泉凡という方は、小泉八雲の曾孫にあたる方だそうです(焼津にある小泉八雲記念館の名誉館長でもあるそう)。

館内は写真撮影禁止ですが、ぜひ1度訪れてみてはいかがでしょうか?

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ぺんぎん

ぺんぎん

神奈川県在住、夫と2人暮らしの30代。何気ない日常・旅の光景や価値観の記録。香川県への移住&早期リタイアを目指して地道に活動中。自由に生きたい。

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