前回、「日本の国際政治学の最高権威」が対米隷属の姿勢を貫くのは、
日本政府が、日本の国益や日本国民の命よりも米軍やアメリカの利益を優先している理由、にも繋がっている、と書きました。
その答えと思われる部分を、引き続き『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』(矢部宏治、2014)から引用します。
軍事・外交面での徹底した対米従属路線をつくったのが、実は昭和天皇とその側近グループでした。それがアメリカ側の公開資料でわかっている。
(中略)
「沖縄の軍事基地化」と「日本全土での基地の提供」、これは実はふたつとも、昭和天皇を中心とする日本の支配層(中略)が、みずからアメリカ側に提案したものなのです。しかも政府を通さない裏ルートで提案した。(p120)
なんと、対米従属路線をつくったのも、
「沖縄の軍事基地化」と「日本全土での基地の提供」を提案したのも、
昭和天皇とその側近グループだったとは、、、しかも裏ルート。
しかしながら、昭和天皇が売国奴だったわけではなく、
昭和天皇自身が、自分に戦争責任があることは一番よくわかっていて、敗戦後、何度も退位して責任をとろうとしています。
(中略)昭和天皇の側近や皇族、外務省の幹部のなかにも、退位すべきだという人たちが数多くいました。
しかし結局、マッカーサーが退位させなかったわけです。それは昭和天皇を使って戦後日本をコントロールしようという有力なシナリオが早くから存在し、その路線が占領政策のなかで最終的に勝利をおさめたからでした。(p123)
戦後、占領軍が初めて厚木基地に上陸する際、日本軍からの攻撃や抵抗を受けないかを極度に恐れ、
マッカーサーをはじめとする占領軍が緊張感を持って上陸した旨が、以前紹介した本にも書かれていました。
それほど、無血占領を行うことは米軍にとって重要なことでした。
そこで、当時の日本人にとって絶対的存在だった天皇を、米軍(特にマッカーサー)は日本を無血占領するために利用したのです。
冷戦構造のなかでそうやってアメリカに全面協力したかわりに、日本は高度経済成長という非常に大きな果実を手にしたわけです。その背景にはマッカーサーによって、国家の戦力を放棄させられていたという厳然たる事実があります。(p120)
つまり敗戦国である日本において、昭和天皇とその側近グループは、
米軍が占領しやすい形として天皇制を継続、昭和天皇自ら米軍の占領に最大限協力する代わりに、
荒廃した日本列島を経済的支援を踏まえて復興してもらえるように、
放棄した戦力を米軍により補填してもらうように、交渉したのだろうと推測します。
この本で、初めてマッカーサーとの間に交わされた昭和天皇の発言と、その側近グループの存在を知りましたが、、、
日本政府が国民に隠蔽しているが、その後アメリカ政府によって公開された重要文書が、
実はかなりの数あるのではないかと想像。
日本人が知らない自国の歴史を、さらに知る必要性を感じました。