ぺんぎんメモ

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箱根湯本から元箱根までの11.3kmを歩いた①【東海道を歩く】

time 2018/11/02

吉原から興津までの22.4kmを歩いた②【東海道を歩く】から1年半以上が経過し、もはや東海道歩きはやめたかに見えた頃、ようやく箱根越えに着手です(笑)

1号線を歩くのは怖いので、旧東海道732号線と箱根旧街道の石畳を歩いて、箱根湯本(三枚橋)から元箱根までを歩いてきました。

実際歩いてみると、石畳の道は乾燥していても枯れ葉・石ころ・枝などが落ちていて滑りやすく、疲れている中では足を取られそうになって危ない。ゆえに、石畳はほどほどに、大半は箱根登山バスが走行する732号線を歩きました。

ちなみに、今回は山の中でも昼食が摂れるよう、おにぎりとおかずを持参。あと夫希望のレモンも。また、これまでの東海道歩き同様に水分も。晴れているとかなり汗をかくので用意は必須です。

さらに、東海道を歩く際の携帯食品でも書いたミックスナッツと、これまた夫希望のチョコレート。今回は山道ということもあり携帯食品が多めです。

さて、前置きは程々に、箱根湯本(三枚橋)から歩いていきます。電車遅延で出発が11時過ぎとなってしまいましたが、雲1つない晴天の中歩けるのは感謝です。

箱根湯本駅を背にして三枚橋まで行き、そこを右折して旧東海道へ入っていきます。

三枚橋バス停。箱根の東海道歩きでは、静岡県内のような案内版が少ないので、この箱根登山バスのバス停が非常に心強い存在となりました。

732号線へ入ると歩道はなくなり、左手にコンビニ、右手にバウムクーヘン屋さんを通り過ぎた後は、ひたすら民家と旅館が並ぶ道を歩いていきます。意外に車の通りが激しいので、道の端を注意深く歩いていきます。「ホテルはつはな」のバスが何度も行き来していたのが印象的でした。

秋とは思えない強い日差しが照り付ける中、急な上り坂をひたすら進んでいきます。

そんな風に歩いていると、左手に白山神社という神社が。

江戸時代までは「白山権現」と呼ばれ、地元の人々に温泉の守護神として崇められていたそうです。石川県の「白山さん」と親しまれている白山神社総本宮の白山比咩(しらやまひめ)神社の御祭神を勧請したお社とのこと。境内には、伏見稲荷大社から勧請した稲荷社や水神社があり、手水舎には「白山水」と呼ばれる御神水が湧き出ているそうです。

白山神社を過ぎると、右手には早雲寺というお寺。

早雲寺は臨済宗大徳寺派の古い寺で、1521年北条早雲の息子氏綱により創建されたそうです。小田原北条家の菩提所として栄えましたが、1590年秀吉の小田原攻めの際に焼失。現在の建物は江戸時代再建以降のものですが、北条五代画像をはじめ戦国時代・江戸時代の文化をしのぶ多くの文物が伝えられているそうです。

早雲寺を通りすぎると、左手には銭湯っぽい建物。が、ここは銭湯ではなく温泉。この大衆的雰囲気を醸し出す完全源泉かけ流しの弥坂湯(やさかゆ)は、地元の人々に愛される銭湯的温泉となっているようです。

そんな旧東海道を歩いていると、正願寺や箱根観音の案内版。ただ、ここは先を急ぐので今回は通り過ぎることに。一応説明だけ下記に。

正願寺は、曽我兄弟の供養地蔵がある大徳寺派のお寺で、当時湯坂路を往来する極楽浄土を願う旅人達の厚い信仰を集めていたそうです。箱根山には曽我兄弟の墓があるので、曽我兄弟について少々記しておきたいと思います。

1176年10月10日、伊豆に流されていた源頼朝を慰めるために催された伊豆奥野の巻狩の帰途、曽我兄弟の父・河津三郎祐泰は赤沢山麓の八幡野で、一族の所領争いから工藤祐経の郎党によって射殺されてしまいます。曽我兄弟はこの仇討ちをすべく18年間に及ぶ艱難辛苦の末、1193年5月28日の夜、頼朝によって富士の巻狩が行われていた西麓井出の仮屋で、仇敵・工藤祐経を討ち取り本懐を遂げました。兄・十郎祐成22歳、弟・五郎時致20歳の時でした。

また、箱根観音は、盗賊の襲撃から一命をとりとめた旅人が観音菩薩像を安置し、旅人の安全を祈願したことが始まりのお寺だそう。この地は観音沢と呼ばれ、祈りの場所として多くの方の信仰を集めてきたそうです。

さらに、ここには福寿院の媽祖観音菩薩という珍しい仏様も祀られています。この仏様は元々は道教の神様で、陸・海・空の安全や不老長寿、商売繁盛の御利益があると伝えられていますが、日本で祀っている寺院はごくわずからしい。

そんな寺院を過ぎると、「いよいよ山の中へ」という雰囲気になってきます。猿沢橋を渡っていきます。

箱根新道と交わる地点も通り過ぎます。

やはり歩道はないので、車の往来に注意しながら道の端を歩いていきます。

そんな道の端からはチラホラと秋。

途中、元箱根までの地図がありました。地図によると、この辺りから須雲川自然探勝歩道という道が整備されており、その歩道は1680年頃に造られた旧東海道に沿っているようです。

歩道の一部は旧東海道石畳と重複しているようですが、その大半が関東大震災と北伊豆地震によって崩壊・埋没しているため、一部の石畳は再現されたものです。神奈川県と地元の人々がこの山道を整備してくれているおかげで、こうして歩ける訳なので感謝です。

とはいえ、その探勝歩道は歩きにくそうなので、これまで通り732号線を歩き続けます。

ここまでで畑宿まであと4km、元箱根まではあと9km。夫は半袖ですが汗ダラダラ。影は涼しいですが日なたはかなり暑い。

上り坂をどんどん進んでいると左手には、天山湯治郷(てんざんとうじきょう)。

この温泉は、一滴の水も加えない源泉100%かけ流しの泉質が評判で、肩凝り・冷え性に抜群に効く塩化物泉と、ph9.7という美肌効果の高いアルカリ性単純泉の2種類があるそう。食事処や休憩スペースもあって快適そうな空間なので、1度訪れてみたい場所です。

いまだに快晴の空。箱根の山も少しずつ色づき始めています。

ちなみに、この周辺の集落を須雲川というそうで、昔は川端とも呼ばれていたらしい。川の名前だけでなく地名にもなっているんですね。この辺りに集落ができたのは江戸の初め頃で、箱根道を往来する人々のため、そしてその道を維持管理するために、一定の間隔で集落をつくる必要があったみたいです。

そんな集落の道沿い左手には、鎮雲寺というお寺。鎖雲寺は、早雲寺の塔頭の一つとして湯本に創建されましたが、東海道が賑わいを見せはじめた1630年に須雲川村に移されたそうです。

山の中にあるのは、天狗茶屋と箱根大天狗山神社。ここはネット情報によると、危険な場所扱いされている怪しい神社で、珍スポット化されている模様。後ほど、この別院前を通りがかることになりました。

そんな怪しい神社を横目に歩いていると、左手に須雲川自然探勝歩道が表れました。これまで歩いてきた732号よりも近道そうだったので、軽い気持ちでこの歩道を歩くことを選択。

畑宿まで1.7kmという表示。

歩道周囲の風景。名前の通り須雲川沿いにある歩道のため、道からはこうして時折川が見えます。近くには東京電力の発電所もありました。

そんな風に時折マイナスイオンを感じながらの山歩き。森の中は涼しいですが、アスファルトの道よりも歩きにくいのが難点。

しかも途中、須雲川を渡る必要があり、その橋になる材質が丸太や岩で滑りやすく、この道を選択したことを心底後悔しました……川を渡る際に気疲れしてしまって写真を撮り忘れたほどです。

そうやって、やっとのことで須雲川自然探勝歩道を脱出し732号線に戻ってくると、右手には箱根天聖稲荷大権現神社が。これは、先ほど山の中に見えた箱根大天狗山神社の別院扱いとなっているもの。随分山奥まで来たみたい。

随分と長くなってしまったので、続きはまた明日。最後までお読みいただきありがとうございます。

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夫と2人暮らし。時々出稼ぎしながら移住・リタイアを目指して生活中。

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