江戸時代庶民は現代庶民よりも自由に暮らしていた5つの理由でも紹介した、江戸時代の日本。
その中で、当時来日したイギリス人のローレンス・オリファントが『エルギン卿遣日使節録』で指摘した、
「個人が共同体のために犠牲になる日本」という表現がずっと引っかかっていました。
江戸時代からそうだったのかと…
日本国憲法では基本的人権・国民主権・平和主義の前に、まず個人の尊重が定められていますが、
現代の日本社会では、明らかに個人が共同体のために犠牲になっており、尊重なんてされていません。
各社会を円滑に運営していくためなら、個人は最大限犠牲にされるだけでなく、それを美化する風潮さえあります…
過労死や自ら命を落とす人々が多いのも、個人を尊重しない風土と無関係ではない気がします。
また、子どもや女性の社会的地位がいつまで経っても低いのも、日本が年配男性中心社会であるからだけでなく、
個人の尊重よりも社会を円滑に運営することを優先した結果、そうなってしまっているのかもしれません。
共同体存続のためなら個人はいくらでも犠牲にしていい、という価値観が社会の根底にあるような気がします…
会社組織では日々の業務を最低限の人数で円滑に回すため、個人の事情はないがしろにされます。
自身が重症な体調不良でも、家族に何かあっても、仕事のためなら当たり前のように個人は犠牲にされてしまうのです。
それが数百年続いてきた風土だからか個人を尊重する風土は根付きにくく、その風土を捨てたければ「共同体よりも個人を大切にする社会」へ移住するしかありません。
日本社会では、どれだけ所属社会のために自分を犠牲にしたかが重要なのだろうと思います……赤ちゃんだって、社会のために泣く自由を規制されるくらいですからね。
私はこれまで、日本社会にはびこる人権無視風土は、経済中心社会であることが原因だと思ってきました。
確かに、経済中心社会であることも人権無視となる原因の1つだと思いますが、最近はそれだけでなく、日本社会で数百年続いてきたこの「共同体のために個人が犠牲になる風土」も原因ではないか?と思うようになりました。
おそらくここ数百年、日本社会では各集落・各家を存続させるために、多かれ少なかれ個人が犠牲になってきたと思います。
それでも江戸時代までは、鎖国していたことや、各集落・各家で個人が生まれながらにして得られた恩恵(共同体からの庇護、それなりの自由)があったために、犠牲になっているという意識は少なかったかもしれません。
けれども開国以降、各集落・各家を存続させる意味が薄れていくと同時に、それまで個人が受けていた恩恵が無くなり、逆に所属社会のために犠牲になっていると感じることが増えていったように思います。
所属社会のために自分を犠牲にしても、その所属社会は自分を救ってくれない、むしろ攻撃してくる、そんな社会なら所属している意味はないから出ていこう
そう思っても、なんら不思議ではありません。
しかも、江戸幕府は庶民生活にほとんど介入しなかったのに、明治政府は西洋化や軍国化にそぐわない行動を国賊扱いしました(同時に、明治天皇に関する調査も法律で禁止にしました)。
江戸時代までであれば各集落・各家という共同体に属し、職能をきちんと果たしていれば個人は尊重されたのに、明治時代以降はそうした尊重はなくなり、むしろ制限されるようになってしまったのです。
おそらく一刻も早く西洋化・軍国化したかった明治政府は、表面的に真似しやすい部分では西洋化させつつも、その精神面で重要な「個人の尊重」は無視したのだと思います。
明治政府にとって邪魔だったがために意図的に無視したのか、単に精神面までくみ取る余裕がなかったのか、その両方なのかはそれ以外なのか不明ですが…
結果、いくら憲法で「個人の尊重」が定められようとも、慣習法並みに強固な「個人より共同体を尊重する」風土を捨て去ることは不可能に近い状態になっています。
現状、個人を尊重するためにできることは、各共同体に規制をかけることくらいなのでは…
人権無視問題の原因が、かなり根深いところにあると気付いて呆然としました。
が、江戸時代から変わらない日本人の性質4つで紹介した「付和雷同を常とする集団行動癖」や、外圧に弱い日本人の性質を利用すれば、案外そんな風土も簡単に捨て去れるかもしれない、という淡い期待も抱いています。