で感銘を受けまくった後は、すぐ近くにある薬師寺 へ行きました(最寄りバス停は「薬師寺」)。
とはいえ、もはや2ヵ月以上前のことなので記憶は…ですが、何とか思い出しながら書いております。
薬師寺は、天武天皇によって発願、持統天皇によって本尊開眼、文武天皇の時代に飛鳥で完成後、718年現在地(奈良市西ノ京町)に移されたのだそうです。
ただ、想像以上の広さで、最初はどの建物が何なのかさっぱり分かりませんでした……上記は食堂。
が、そんな人が多いのか見やすいように順路が示されていて、各建物に常駐しているお寺の方も「次は〇〇ですよ~」と教えてくれて、案内板も豊富にあり、終始観光しやすかったです。
もちろん好きな所だけ見たい人にとっては、有難迷惑だったりするのかもしれませんが、初訪問で時間的制約がある身としては、とても助かりました。
また、スマホで東塔の写真を撮るのに苦戦していたら、上手く撮れる場所を教えてくれた方もいました。海外では警戒してしまうことが、当たり前のように親切に行われるのが日本です。感謝。
金堂。堂内には薬師三尊像(国宝)が祀られていました。建てられたのが比較的最近だからかもしれませんが、建物雰囲気が「平城宮跡」で見た宮殿に似ていました。
さて、薬師寺に来たら必ず見ておきたいのが、東塔(国宝)。
創建時(730年)以降、1300年間一度も倒壊せず建っているスゴい塔です!
6重に見えるが実は3重という構造で、1300年前に作られたとは思えないほど立派でした!
東塔初層の扉が開いていたので中を眺めていると、お寺の方が、東塔は解体修理で中心の柱を継ぎ足して、現姿を維持していること等を話してくれました。
ちなみに、東塔以外の建物は地震や大火で失われてしまい、東院堂(国宝)以外は近年再建された新しいものだそうです。
その東院堂(国宝)は、1285年に再建されたもの。日本最古の禅堂として、国宝に指定されています。こちらも約800年前に建てられたとは思えないほど、しっかりとした造りでした。
西塔。
正面から見た西塔。
西塔から見た東塔。いにしえの趣を感じます。
西塔から見た金堂。
大講堂。
解体修理で外された1300年間東塔で使われていたものが、展示されていました。
こちらは止め釘。40cmくらいの大きさだったと思いますが、1300年という耐久性がすごくて仰天しました。
こちらは、1300年間東塔で使用されていた木材。所々傷んではいるものの、1300年前のものとは到底思えません…
同じく東塔で1300年間使用されていた相輪(そうりん)。
こちらは、1300年間東塔の一部を成していた相輪檫銘(そうりんさつめい)。塔の中心を貫く心柱を包む金属管である擦管には、薬師寺建立の由来が刻文されていました。
こちらは1300年間東塔の最上部に付いていた、水煙(下の部分)と宝珠(上の部分)。1300年前の技術力の高さにビックリです!
これだけの技術があるなら、文化財以外の建築技術にも活かせそうですが、経済中心社会だと耐久性が高すぎるものは敬遠されるのかもしれません。
一旦敷地外へ出て、道路を渡り、今度は玄奘三蔵院伽藍へ。玄奘三蔵といえば、インドから持ち帰った経典を訳して、西安・大雁塔に保存したことが知られています。
なぜ薬師寺に玄奘三蔵?と思ったら、インドに仏教の真髄を求めて17年間求法の旅をした、玄奘三蔵の遺徳顕彰のために建立されたのだそうです。
玄奘三蔵の頂骨が奉安されている玄奘塔には、平山郁夫氏の絵画「大唐西域壁画」などが飾られていました。
西安の絨毯工場でも氏の文章を見かけましたが、シルクロード関連になると必ずといっていいほど出会う方です。
ちなみに伽藍内を歩いていたら、北京・世界遺産「明の十三陵」にあったものと酷似している石板を発見。大きさは北京の1/10くらいですが、、、あと、西安・清真大寺で見たものとも似ています。
薬師寺は、東塔の1300年という耐久性に驚くと同時に、中国との繋がりを強く感じた空間でした。歴史あるお寺は、大陸との繋がりが深いです。
個人的に印象的だったのは、トイレから敷地外へ出入りできる性善説的な構造。「薬師寺」バス停に近くてなかなか良かったです。
薬師寺では、自宅での写経もお勧めされていて、一巻2,000円の般若心経、一巻4,000円の薬師経、一巻5,000円の唯識三十頌があるとのことでした。
宗教に興味はありませんが、精神衰弱気味だった10代の頃からお守りとして持っているお経(ボロボロですが…)を眺めていると確かに落ち着くので、もしかすると写経にもそんな効果が見込めるのかもしれません。
初代三蔵法師である鳩摩羅什(くまらじゅう)、その次の三蔵法師が玄奘。お経を眺めながら、今回奈良で訪れたお寺を思い返していると、いにしえの都への想像が膨らんできます♪