江戸~明治時代初期の日本人

江戸~明治時代初期の日本人

江戸時代は子どもにとって天国・楽園で、親や大人から愛情をたっぷり受けていた

『逝きし世の面影』における訪日外国人の記述から、何度かご紹介している江戸時代の庶民生活。 今回は「江戸~明治初期時代の子どもを取り巻く環境」についてご紹介します。 現代日本社会の子どもは、幼少時代から大人と同じような振る舞い・対応を求められ...
言いたい放題

江戸時代から続く、共同体のために個人が犠牲になる日本社会

江戸時代庶民は現代庶民よりも自由に暮らしていた5つの理由でも紹介した、江戸時代の日本。 その中で、当時来日したイギリス人のローレンス・オリファントが『エルギン卿遣日使節録』で指摘した、 「個人が共同体のために犠牲になる日本」という表現がずっ...
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江戸時代庶民は現代庶民よりも自由に暮らしていた5つの理由

最近、繰り返し紹介している『逝きし世の面影』。 明治時代初期に来日した外国人による、当時の日本人に関する興味深い記述が掲載されていて、読めば読むほど「これまで学んできた歴史は何だったのか?」と思えてきます。 中でも驚いたのは、江戸時代の大人...
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江戸時代の東海道は、のんびり気ままに歩いている人も多かった【東海道を歩く】

昨年藤枝までを歩いて、ようやくその先が見えてきた東海道歩き。 そんな中、最近読んだ『逝きし世の面影』に面白い記述を見つけて、今後の東海道歩きも、より一層自由にマイペースに歩こうと思ったところです。 『逝きし世の面影』では、江戸時代に来日した...
江戸~明治時代初期の日本人

江戸時代から変わらない日本人の性質4つ

文庫とはいえ約600ページにも及ぶ『逝きし世の面影』をお正月に読了しました。 この本に関しては以前から何度か紹介していますが、内容としては江戸時代~明治時代初期に日本列島を訪れた外国人の文献内容をまとめたものです。 当時来日した欧米人から見...
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江戸時代の大人は陽気で機嫌が良く、天真爛漫で無邪気だった

以前にも紹介したことがある、『逝きし世の面影』。 この本は、江戸時代~明治時代初期に日本列島を訪れた外国人の文献内容がまとめられたもので、当時の庶民とその暮らしぶりが分かる名著です。 そんな本から今回ご紹介するのは、江戸時代の大人について。...
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三島スカイウォーク休憩所~三島駅の9.1kmを歩いた【後編】【東海道を歩く】東海道歩きで初めての雨

三島スカイウォーク休憩所~三島駅の9.1kmを歩いた【前編】【東海道を歩く】の続きです。 箱根路が終わって見えてきたのは、約1kmつづく初音ヶ原松並木。 当時の旧街道は現在の1号線にありましたが、三島市内で松並木が現存しているのは初音ヶ原だ...
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三島スカイウォーク休憩所~三島駅の9.1kmを歩いた【前編】【東海道を歩く】紅葉時におすすめの区間

前回、元箱根~三島スカイウォーク休憩所の10.5kmを歩いた【後編】【東海道を歩く】で三島スカイウォーク休憩所まで歩いたので、今回はそこから三島駅までを歩きました。 今回は距離が短いので、小田原駅出発も10時過ぎと遅め。 紅葉シーズンで天候...
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元箱根~三島スカイウォーク休憩所の10.5kmを歩いた【後編】【東海道を歩く】山中の旧街道は1人では歩けない

元箱根~三島スカイウォーク休憩所の10.5kmを歩いた【前編】【東海道を歩く】の続きです。 日本橋から103km地点を通過。 もはや私達にとっては意味を成さない標識ですが、毎回ちょっと気になります。 ここまで来ると、きちんとした歩道は片側だ...
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元箱根~三島スカイウォーク休憩所の10.5kmを歩いた【前編】【東海道を歩く】歩きやすい道がいかに有難いか

静岡~藤枝の22km【東海道を歩く】から疲労回復した夫が、 後回しにしていた山登り区間でもある、元箱根~三島区間を歩こうと言い出してビックリ! ただ、こちらとしてはせっかくのチャンスを逃すまいと、夫が心変わりする前に歩きに行くことにしました...
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東海道丸子宿の丁子屋(とろろ汁)へは行けなかったけれど【東海道を歩く】

先日歩いた静岡~藤枝の22kmを歩いた【東海道を歩く】では、海岸線沿いを歩いたために行かなかったのですが、東海道丸子宿にはとろろ汁で有名な「丁子屋」というお店があるのです。 夫のせいで行けなくて残念に思っていたら、ちょうど静岡駅前松坂屋で丁...
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静岡~藤枝の22kmを歩いた【東海道を歩く】JR東海の財力

前日の興津~静岡の16.2kmを歩いた【東海道を歩く】の続きです。 今回お世話になった「静鉄ホテルプレジオ静岡駅北」は部屋はこじんまりでしたが、湯船が広く快適な設備で居心地の良いホテルでした。 そのおかげか、昨夜は熟睡でき今日は元気いっぱい...
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興津~静岡の16.2kmを歩いた【東海道を歩く】政治の裏舞台だった興津

前回箱根湯本~元箱根の11.3kmを歩いたので、次は元箱根~三島を歩く気で意気込んでいましたが… 自宅から元箱根まで距離があり、今の時期だと明るい時間に三島に着けない可能性がある(と夫がブチブチうるさい)ことから、とりあえずこの区間は後回し...
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箱根湯本~元箱根の11.3kmを歩いた③【東海道を歩く】732号線を歩き続けて

箱根湯本から元箱根までの11.3kmを歩いた②【東海道を歩く】の続きです。 須雲川自然探勝歩道および旧街道石畳を登り切ると、いつもの地図。 地図によるとあと少しで甘酒茶屋に着くようです。 とはいえ、元箱根までは遠い… それはつまり根気よく前...
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箱根湯本~元箱根の11.3kmを歩いた②【東海道を歩く】急カーブに飽きて旧東海道石畳を歩いたら…

箱根湯本から元箱根までの11.3kmを歩いた①【東海道を歩く】の続きです。 怪しい神社の別院を過ぎると、またもや須雲川自然探勝歩道が出現。 そしてその横には、割石坂(わりいしざか)の説明書。 割石坂とは、曽我五郎(曽我兄弟の弟。曽我兄弟につ...
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箱根湯本~元箱根の11.3kmを歩いた①【東海道を歩く】歩きにくかった須雲川自然探勝歩道

吉原から興津までの22.4kmを歩いた②【東海道を歩く】から1年半以上が経過… 東海道歩きは諦めたかに思えましたが(夫が後ろ向き)…なんと箱根峠越えに着手。 ただ、峠越えなので季節と天気に気を付けたいと思っていたら、ここまで延びてしまいまし...
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『日本の親子二百年』200年前と変わった点

神保町の古本屋で見つけた、『日本の親子二百年』(有地 亨、1986)。 明治時代以前における日本の親子関係について少しでも知りたいと思い、購入しました。 今から200年前といえば江戸時代ですが、江戸時代のことは明治政府の意向によって明らかに...
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子女を海外へ売り飛ばした歴史

日本には外貨を獲得できるような資源があまりなかったため、外貨を得るために日本人子女を海外へ売り飛ばした歴史が何度かあります。 1度目は、キリシタン大名・宣教師たちがヨーロッパへの奴隷貿易で数十万人(『近世日本国民史 豊臣秀吉(二)豊臣氏時代...